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八つの耳の王子の話 [歴史]

 今から約千四百年前、日本の国は大和の国(近畿地方)を治める天皇を中心に段々と開けていきました。その大和時代といわれるころのことです。用明天皇の子どもに聖徳太子というきだてのやさしい、かしこい王子がいました。

 太子が六つのときです。

 太子が他の王子たちと遊んでいるうちに、とっくみあいのケンカになりました。「えい、また、ケンカをしておるか!」おとうさまの天皇はおこってこらしめるために、むちを持って出て行きました。「わぁ、たいへん、たいへん。」他の王子たちは、あわてて逃げ出しました。

 ところが、太子だけは逃げません。それどころか、天皇の前にひざまずいて頭を下げました。「これ、太子。お前は、なぜ逃げぬ? どうして頭をたれておる?ケンカをしかけたのは、お前か。」天皇が尋ねました。

「いいえ。ケンカはわたくしがしかけたのではありません。なぐられたので、なぐりかえしただけです。でも、みんなと同じように、逃げようと思えば逃げられますが、いくら逃げても、天の上や地の底までは逃げれません。いつかはつかまってしまいます。それにケンカをしたのですから、ムチで打たれても仕方がないと思います。」

「ふうむ。なんと、正直な子じゃろう。いや感心、感心。」天皇は太子の素直な言葉にしかるどころか、反対にほめてしまいました。

 太子が八つになった時のことです。日本中を驚かす大変なことが起こりました。関東地方に住んでいて、たいそう勢いの強いエゾの人たちが天皇の言いつけに従わずに背き始めたのです。「ふとどきなエゾめ。すぐさま、退治してしまえ。」天皇は家来たちに言いつけましたが、その前に皆の考えを聞こうと、家来たちを集めて尋ねました。すると皆と一緒に、話を聞いていた太子もそばにいたので、「これ、太子。お前の考えはどうじゃ?話してみよ。」と天皇は太子に言いました。


「はい。わたくしは、まだ子どもですので、そのような難しいことはよくわかりません。けれど、戦いとなると、必ず人がケガをしたり、殺されることでしょう。エゾといっても、同じ日本の国に住んでいる人たちなのですから、出きることなら、そのかしらを呼んで、よく相談してみたらいかがでしょう。」太子は思っていることを答えました。

 天皇や家来たちは、太子のやさしい心、皆仲良くしようという平和への願いにつくづく胸を打たれました。そして太子の言う通り戦いよりも、まず、相談をしようとエゾの頭を呼んでいろいろと話し合いを進めました。

 やがて、太子が十九歳になった時、天皇の仕事を助けて政治を行うことになりました。それにはまず、大勢の人の言うことを聞いて、それを元にすることだと考えて毎日、朝早くから役所に出かけました。すると、早速、一人の人が太子の所へ来て、いろいろと困ったことを訴えました。ところが、その後から、続いて二人、三人と続けざまに八人の人がやってきました。
「太子さま。まず、わたくしの話をお聞き下さいませ。」
「いえ、太子さま、私の方が先でございます。実は太子さま」とみんなが我先に自分の言いたいことをいっぺんにしゃべりたてました。がやがや、わやわや、何の話か、聞き取れないほどの騒がしさです。けれど太子は少しもいやな顔をしません。それどころか、八人の話を全部聞き終えると、「うむ。よくわかった。では、あなたはこうしなさい。」「あなたは、これこれのことをしなさい。」とてきぱきと訴えに答えてあげました。これには八人の人はみんなびっくりしました。「おどろいたお方だ。八人の話をいっぺんに聞くとは、とても人間技では出来ない。太子さまは頭がよいだけでなく、八つの耳を持っていらっしゃる。」とすっかり感心してしまいました。そして、このことがあってから、太子のことを八つの耳のある八耳王子と呼んで、いよいよ うやまうようになりました。

 こうして、八耳王子の聖徳太子は、それからも、いろいろとすぐれた政治の働きをしました。聖徳太子は、中国から伝わった仏教を広め、盛んにし、また、天皇を中心にした政治を行って日本国内をしっかりとまとめました。さらに、進んで外国と交わって、外国の良いところを、どしどし取り入れました。日のいずる国『日本』という国の名前は、この頃から使われたと言われています。(おしまい)

 この話を読んで、聖徳太子は8ヶ国語を話せたのではないかと思うのですが、どうでしょう・・・正倉院にはシルクロードを伝っていろいろな宝物が持ち込まれていますが、様々な民族の人々が日本に渡ってきたのではないでしょうか?


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コメント 4

オオタ

全部読みました。最後の八カ国語のくだりでふきだしました。おもしろいですとても。太子ってすごい人だったんですねー。
心の優しい人が信望をあつめるんですねー・
得るものは常にありますはるかぜブログは。
by オオタ (2006-10-02 19:14) 

はるかぜ

近所に集まるこどもたちに最後の8人の話を同時に聞くというこの話をして、じゃあおじさんが同時に皆の話を聞くからいってみて!と言って5人ぐらいの子どもが同時に話したのですが、全く分からないんですね。凡人には・・・聖徳太子は今さらながら素晴らしいお方だったんですね。なぜこの話かというと、実家に帰った際に自分が小学生の頃の本(小学3年生が読む本)が出てきたのです。神話から始まり戦後すぐ水泳で世界新記録を出した日本人選手の話まで。今の小学生は何を読んだり聞かされたりするんでしょうか?偉人伝なんかあるんでしょうか?小学生の子どもの国語の教科書にはがっかりすることも。子どもは素直なんですけどね。しかも薄すぎ!一日で終わりそうなぐらいです。吸収力があるときに濃いやつを教えてやろうと思っています。
by はるかぜ (2006-10-02 20:26) 

太子は賢い人だったんでしょうねぇ。今の時代に生まれていたらどの位の学力なんでしょうか。今の時代、あほなやつでも太陽の周りを地球が回っていることは知っているし、人間は猿から進化したことや、冥王星があることも知っている。オーラの泉で聖徳太子の生まれ変わりは誰か、調べてもらいましょう。
by (2006-10-02 22:09) 

はるかぜ

聖徳太子がお札だった時代はもう誰も知らないようになるんでしょうね。岩倉具視はもちろん新渡戸稲造や板垣退助などなど(お前見たことあるんか?と言われそうですが・・・・)
by はるかぜ (2006-10-02 23:06) 

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