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お米の気持ちになってみた [社会]

今年の米作りがやっと終了した。本当にひと苦労な作業である。まずは、固い田んぼを耕し、水を引いて、ドロドロにし、その間に、種を植え、育て、田んぼの水を抜いて、田植え。水の管理をしながら、稲刈り、天日干し乾燥、脱穀、籾(もみ)すりしてやっと玄米になる。年明けから始まり、約10ヶ月で来年までの一年間の米が出来る。


人間が排出する二酸化炭素を吸って、炭素化したのが米粒なのだとか。まさに人間の為に結晶化してくれている訳である。ここで、お米の気持ちになってみたのだ。半年掛けて出来上がった米粒である玄米(皮に栄養素が多く含まれている)の皮を身包み剥がされ、栄養価の少なくなった白米を人間は食べ、作り過ぎやもの余りで廃棄されていく。本来の一番食べて欲しい糠(米へんに健康の康)を捨てていく明治以降の日本人。文明開化で日本人は本当に文明人になったのだろうか?しかも終戦後はその白米も止め、小麦粉を主体としたパン食に変化した日本人の食生活。長い日本人の歴史を見てきたお米にとってみれば、複雑な心境だろう。


この百年で大きく変わってきた日本人の食生活。これから先、百年どう変化していくのか?

最近、カップラーメンの蒙古タンメン中本ばかり食べてるお前に言われたくねーよ!と言われそうだが、玄米の復活はあるのだろうか?苦労のわりにあまり報われていない仕事も世の中にはあるから、お米の気持ちになった時、私も複雑な心境になってしまいました。

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