応援すること [精神世界]
私が応援する人が存在する。
音楽業界だったり、身近な存在だったり。
応援すると何かしらのことが我が身にも返ってくる。
例えば、「ありがとう」の言葉だったり、笑顔だったり。
そこで、ふと想像してみた。
私を応援する私(私に内在するもうひとりの存在)がいてもおかしくない。
でも、その応援してくれている側の私に感謝の「ありがとう」や鏡に向かっての笑顔は送っていない。
三種の神器とされる鏡・剣・勾玉の内の鏡の意味はそういうことかもしれない。
自分自身の中にも応援してくれている存在がいることに氣付くこと。
資格取得に向け頑張る友人を見て、忙しい中でもがんばっている姿を想像して、他人事ではない氣がして心の中で(例えばお風呂に入っている最中に)「がんばってね!」と思いめぐらしたり・・・
これと同じことを内なる自分(内在する存在)が自我の私に向け送ってくれていることに何となく氣づいた。お風呂に入ってまったりとしている瞬間に。。。
野球でもバレーでもサッカーでも子供でも何でも結構。
応援している行為は自分にきっと返ってきている。
そんな応援している姿を応援しているもうひとりの自分がいるから
そう感じるだけで「一人じゃないんだ!」って生きる勇気も湧いてくる。
そんなことを友人を心の中で応援しながら感じた。。。