大小それぞれ [社会]
今朝、じゃがいもを収穫した。
同じ種芋から大小それぞれの大きさのじゃがいもが土の中から出てくる。
しかし、スーパーに行けばほぼ同じ大きさのじゃがいもが並ぶのである。
私も出荷するからわかるが、同じ大きさを選んで袋に入れる。
消費者はじゃがいもに限らず農産物は均一に出来ると思い込んでいないだろうか?
人間にも大小それぞれの人間が居る。
背の高い人、低い人。横に大きい人、細い人。肝っ玉の大きい人、ちっちゃい人。
しかし、均一で従順な羊のようなサラリーマンを作る教育が今現在も成されていると感じる。
本来持っている個性を失わせるかの如く、記憶力重視のマークシート方式の受験。そして皆同じ紺色のスーツに身を包んだ就職活動。社会にとっては個性があっては困るかの如くである。
コンビニなども悪い例でもある。
全国どこに行っても同じ商品と接客。
ご当地名物など個性的な店があっては困るのである。
現場を知れば知る程農業は面白い。農業に限らず、漁業や林業など自然相手の第1次産業の現場はまさに神の領域に接しているかの如くである。
大自然の意思、地球の意思、大いなる存在の意思、宇宙の意思、神の意思を感じる。
人間も自然も世の中も大小それぞれあっていいじゃないか!
大小さまざまに入れてみた。
売り物にならないじゃがいも達