今日死ぬかもしれない心境 [社会]
昨日、死刑が執行されたのだとか。一人は刑が確定して18年も経過しての執行らしい。未だに死刑確定から40年経過するも執行されない人も居るらしい。そして死刑執行を待つ人は129人も居るのだとか。
片や朝鮮半島のある国では、死刑が確定してから即日執行とか。
日本って優しい国なんだなぁ・・・と感じた。
聞いた話によると、死刑囚は死刑執行はその日に聞かされるのだとか。
毎日、毎日、今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれない、という心境はどんなものだろうか?
いや待てよ!わたし達も事故で突然死ぬ可能性だってあるのだ!
だから死刑囚ならぬ地球上に生きる囚人=地球囚として(何か他の星で生きた人生で罪を犯し、この地球に生まれてきた。もしくは、前世で取り返しのつかないことを犯し、今世で償うために生まれてきた)「今日死ぬかもしれない!」として生きてみたらどうだろうか?その時何をするのか?何を思うのか?
人の悪口を言う、ゴミのポイ捨てをする、嘘をつく、何かを誤魔化す、お店で横柄な態度をとる、信号無視をする、車を運転しながら携帯をいじる、バレていないだけで罪を犯したことが無いと言える人は居ないのでは無いだろうか?まぁお天道様だけは知っている。。。
あのイエス・キリストのエピソードで大好きなシーンがある。
マグダラのマリアが姦淫の罪で捕らえられ(実はイエスをおとしめるために罠にかけられた)、イエスの前に差し出された。当時、姦淫の罪は石打ちの刑である。イエスを何とかしておとしめたい僧侶たちが言った。「この女は姦淫の罪を犯した。姦淫は石打ちの刑である。あなたも石で打て!」
イエスは言った「この世で罪を犯したことの無いものから石で打て!」
石を持っていた年老いた僧侶たちから順に石を捨てて立ち去って行った。そしてイエスとマグダラのマリアだけになった。
イエスは言った「わたしも打てない。」