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アナログ炊飯器の楽しさ [社会]

「始めチョロチョロ中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、赤子泣くとも蓋とるな、最後にワラを一握りパッと燃え立ちゃ出来上がり。」

これは釜戸で木をくべながら火加減をしながら釜でご飯を炊いていた頃の唄である。

IH炊飯器が壊れ、といっても他に2つあるから、それを使ってもよいのだが、当初は敢て土鍋で炊いてみた。すると火の加減が分からず(いつ強火なのか、いつ弱火なのか)試行錯誤しながら毎回違う味と硬さの玄米を、逆に楽しんでいた。実にアナログ的だからである。今はほとんどコンピュータ制御なので一定の品質の米が炊き上がる。実はそれが面白くなく感じたからアナログを楽しんでいる。

昨日からは圧力鍋を使用してみるが、ネットでも水の分量が公開する人によってまちまちで、そこがまた面白い。強火や弱火の時間も同様に人それぞれなのだ。硬めが好きな人も居れば、やわらかめが好きな人も居るのがこの世の中である。電子炊飯器のような金太郎飴でないのがこの世界の面白いところである。

一番初めにご紹介した唄は江戸時代頃に広まったらしいが、現代科学で分析しても理にかなっているそうだ。

「始めチョロチョロ」は始めは中火の意味。これは最初から強火にすると、釜の底の部分にのみ熱が加わり炊きムラを起こすから釜全体に熱を加える為に中火。圧力鍋の炊飯で検索すると最初から強火と多い。釜と違うから熱伝導も早いからか?この辺を考えるのも実にアナログ的で面白い。

「中パッパ」は次に強火に切り替えるの意。昔は火の付いた炭や薪を追加していっていたのだろう。水を一気に沸騰させる意味らしい。

「ジュウジュウ吹いたら火を引いて」は沸騰後蓋がジュウジュウと泡を噴出す。そうすると中火から弱火にする。釜戸の中をオキ(火の付いた炭)を七厘などに移して、お湯を沸かしたり、イモを焼いたりしていたのだろうか。

「赤子泣くとも蓋とるな」は「親は死ぬとも蓋とるな」という替え歌もあったそうな。グツグツと土鍋の蓋が動くのだが中の様子が非常に気になるところである。が、じっと我慢。これは蒸らしの重要性を説いている。蓋を取るとせっかくの蒸気が逃げてしまうからである。

「最後はワラを一握り パッと燃え立ちゃ出来上がり」ワラは非常に燃えやすい。故に瞬間的に火力も上がる。これは釜内の水分を一気に取りモチモチさせるのに役立つのだそうだ。

タイマーをセットして弱火→強火→中火→強火と切り替えるのもデジタルでいいが、やはりせっかくのアナログ的な土鍋や圧力鍋なので、中身の様子を頭で想像しながら数秒のズレが自分的で面白い。

音楽もCDもいいが、ターンテーブルにレコード盤を置いて針を落とすのもいいかもしれないなぁ。

兎に角、怪我の功名で炊飯器が壊れたのにも意味があった。毎日違う味のご飯を楽しんでいる。世の中偶然は無いんだなぁ…。


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