空気を読む技術 [社会]
世の中、お年寄り(というか自分より目上の人)を敬いましょうとか言われても、尊敬出来ない人は出来ない。
方や、子供でも尊敬に値する人間だって大勢いる。
要は、その人次第なのだ。
先日も「空気を読めない人」の議論になった。大の大人でも空気を読めない人は大勢いるし、子供でも空気を読む子供もいる。空気を読めない大人は一生、空気を読めないのだとか。
そこで、では、いつ「空気を読む技術」を身につけるのか?という話になった。
浅い議論ではあるが・・・結論としては、小さい頃の生活環境の中で人間関係を通して暗黙のうちに「今、これをしてはいけない」とか「これをすべきである」とか学ぶのでは?ということになった。
空気を読めない大人は、例えば一人っ子とか、幼い頃友達との関係が少なく、自分中心の生活で大人になったのでは?という結論に至った。まさに「三つ子の魂百までも」である。でも私の知り合いに「空気を読めない人」が多数いるが、兄弟がいるのは共通しているから、その人独自の個性なのかもしれない。
この世は修行の場である。
空気を読めない人は我が道を進むし、空気を読む人は読みながら回り道もする。
「過去と他人は変えられない」 but 「未来と自分は変えられる」
私は「空気を読めない人」と接する時、次のように考えることで多少気が楽になってきた。
「あぁ、これは私の修行なんだ!」「私がまだ未熟で変わらなければいけないことをこの人から感じとらなけばならないのだ!」「私はこの人に何をすればいいのだろうか?」「私は何をこの人に言えばいいのだろうか?」
その人との闘いでは無く、常に自分との闘いなのだろう。
最近は、空気を深読みしすぎて、空回りしている自分がいる。空気を読む人と接すると「何をしゃべっていいかよくわからない」。人間関係って学校の勉強より難しい。けれど、答えが無い分、面白い。自分で考えてこのループから抜け出すしかないのだ。抜け出た時に、新しい自分と新しい世界が待っているのかもしれない。
悪戦苦闘しているようで、一番空気を読めないのは私だったりして・・・。