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個性=変 [社会]

もしも、日本人1億2千万人が個性を否定されたら、お隣(といっても隣接していないので海を隔てた半島の独裁者政権のお国)のようになるのかもしれませんが、私には強烈な忘れられないフレーズがあります。

私は大阪のある大学で、軽音楽サークルに所属しておりました。軽音サークルも二つありまして、一つはマニアックなというか音楽をひたすら極めるサークルと、私が所属するのは「HUMAN BEING」という名前だけあって、音楽だけでなく、人間というものを同時に追求する(!?)サークルでした。

1980年代当時バンドブームで在籍者が100人ぐらい居るサークルを取りまとめる最高責任者(部長)になった私の同級生(この役職決定過程も面白く、一個上の先輩が一年間というか(一年半)入部してからずっと見てきて、コイツなら大丈夫だろう!という音楽技術の上手い下手ではなく、人間的(ヒューマンビーイングだけに)な部分を観てきて判断するのだ。その我らが部長が言った言葉「変というのは俺の最高の褒め言葉やで!というのはな!『変』というのは人は違っているということであって、お前○○(私のこと)・・・めっちゃ変やで!」と生粋の大阪人に言われたことを今でも誉れと思って生きている。

先日の「今のイジメ」の現状を知り、教育の矛盾を知り、逆に「変でもええじゃないか!」と江戸時代に起こったとされる「ええじゃないか!一揆」を一氣に起こしたいぐらいだ!

40人学級でたった一人変わった人(例えば、ピアノが弾ける)がいると1対39のイジメが起こるから「ピアノが弾けること」を誰にも言えないのだとか。私からすると「ピアノが弾ける」ことは尊敬に値するのに。何だかおかしな世の中だ。

そんな変なイジメ社会なら、あえて口に出す必要ないが、自分の中の「変」(人と変わっていること)を自分が存在する意義・意味として、個性として大切に生きていきましょう! 


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