映画「罪の余白」 [映画]
2015年公開・内野聖陽主演映画「罪の余白」を観た。
先日観た「さまよう刃」に似たテーマで、父親が死んだ娘の仇討(かたきう)ちをする。
「事件か事故か。死んだ娘の親友は悪魔でした。」というキャッチコピーの通りで、現代社会のイジメの恐ろしさを目の当たりにした感覚でした。
大学で心理学を教える内野は、娘と二人暮らし。母親は娘の出産と同時に亡くなっている。仲良しの親子だったが、ある日突然病院から連絡を受け、娘が学校のベランダから落ちたとのことで亡くなる。警察は事故と事件(自殺)の両面で調べるが事故と断定。学校もイジメは無かったとする。
心理学を教えながらも、自分の娘のことは何も分かっていなかったと自暴自棄になり酒に入り浸る。
パスワードの掛かったパソコンに日記が綴られており、同級生に心理的に追い詰められていたことを知る。
学校や警察も敵に回すこととなり、独自に調査を開始し同級生に接触していく。
酒を断ち、自分の死も覚悟しながら、自殺に追い込んだ同級生を「刑務所にぶち込んでやる!」と心理戦をふっかける。
同級生はダブルバインドという心理戦で娘を追い詰めていたのだ。wikiよりダブルバインドについて→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89
どちらを選択しても逃げ道が無いようにして二つの質問で相手を支配していく手法。「自殺」or「誰かを殺す」
内野も逆ダブルバインドで犯人を追い詰める。「真相を言う」or「俺を消す」
私も17歳の娘を持つが、学校では似たような世界があるのかもしれない。友達を維持するために自分の何かを犠牲にして付き合う。映画では誰とも付き合わない、いつも一人の女子生徒が現れるが、今のご時勢、協調性よりもこのような一人でも強く生きていけるように育てることが必要なのかもしれない。その子だけが同級生の悪魔と毅然と対峙して真相を証言しようとする。誰ともつるんでいないから怖いものがない。強いのだ。人は弱いから誰かとつるもうとするのかもしれない。特に多感な女子高生なら尚更である。
タイトルは「罪の余白」だが、観て丸一日経過するが、余韻がずっと残っている。
主人公のように、警察や学校や社会を敵に回しても、嘘が無いなら一人強く生きていきたい。