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遊牧民族と農耕民族 [社会]

相撲界でのモンゴル人横綱による別部屋平幕モンゴル人力士への暴行事件。優勝したモンゴル人横綱の優勝インタビューの際の不謹慎な発言と行司や審判団(親方衆)に対する物言いを行ったことによる協会からの処分。

これを民族学からの指摘をする話を聞いて妙に納得した。

モンゴルという国は元々は遊牧民族である。この国では、ひとつの家族や集団で遊牧しながら生活をしていた。例えば家族の中で父親が息子の代に代替わりした瞬間に、息子が家族の長になり、父親は息子の下につくのだとか。食事も息子に先に出され、父親が二の次になる。集団での場合も年齢に関係なく、長になった男が絶対で、ピラミッドの頂点のような存在で、それ以外が自分の下になるのだ。家族や集団の生き死にに関わるから、力を持つ男が長になり、それ以外がその長に従うのは自然界の厳しさがそうさせたのである。

日本は元々農耕民族である。例え長男が家を継いだとしても、食事は祖父母から先に出される。集落の場合でも、代替わりしたとしても、長幼の序があり、隠居生活を送っている老人たちをも敬う文化がある。

なので、今回のケースでいえば、横綱がピラミッドの頂点であり、親方は自分の下という意識なのではないか?という見方であった。しかも優勝した横綱が所属する親方は現役時代前頭13枚目(幕内は15枚目が一番下)が最高位であり、小結や関脇や大関やましてや横綱の気持ちは成ったことがないからわからない。モンゴル人横綱からすれば親方とはいえ、自分の下に見ているのではないだろうか?という指摘であった。

日本人なら親方は親同然。自分を育ててくれたのだから、親方という存在に対しては絶対に尊敬するし従う。現役の最高峰の横綱が絶対で、現役を引退している親方衆を見下すことはない。

まぁ、この時点の話で、モンゴル人を相撲界に入れた段階で日本古来の相撲という文化は終わったのかもしれないと感じた。時代の流れには勝てないのである。私は相撲は好きだが、もう、モンゴル人の取り組みは見たくない。プロレスを見ているような気分になるからだ。もう、エルボークラッシュは止めてもらいたい。

その昔、元寇が日本に攻めてきた。その当時は日本の侍と天の神様(天候)のお陰で撥(は)ね退(の)けた。時代は繰り返すが、今回は駄目だった模様。武士道精神はやはり異国の地で産まれた人には死ぬまで(日本の地で生まれ変わるまで)分からないだろうなぁ。

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