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罪のない者はいない [映画]

 私の家は仏壇があり、神棚があり、父はお寺のお世話、神社のお世話をしているそんな家庭で育った。私の葬儀は神式でしてもらいたいと願っている。一度だけ神式の葬儀に出席した。隣の部屋では仏式(決してフランス式ではないが)で悲しい雰囲気での葬儀だったが、神式はまさに神として安置してあるため明るい白を基調としてまさにお祀(祭)りであった。かしわ手(音は鳴らさないが)を打ち、結婚式のような雅楽が鳴り響いていた。

 さて、そんな私が預言書(託された書、予言とは異なる)としての聖書に興味を持ち少し勉強した。その中で印象に残るシーンがある。これはメルギブソンが監督としてキリストが磔(はりつけ)になるまでの12時間を描いた映画「パッション」にも出てくる(女性の視点で、地面に伏せた目の前に石が次々と放り出されて人が去っていくシーン)。下の知識がないとなんのことかさっぱり分からない。多くの日本人は見ても分からないのである。下の女がマグダラのマリアと言われているが、聖書にはその記述はない。またある人の解説によると、キリストを告発するためにこの姦淫の現場を彼らが作り、この女も被害者であると。

 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、イエスに言った。
「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。
しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。
 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。
 女はそのままそこにいた。
 イエスは身を起こして、その女に言われた。
「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
 彼女は言った。「だれもいません。」
 そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ8:1)

 年長者たちから出て行った・・・罪のない者はいないのである。
 そして、罪を犯した者をも罪に定めないのである。
 その現場に居たら、私も出て行っただろう。罪のない者はいない。これが人間であろう。

 

 
パッション

パッション

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2004/12/23
  • メディア: DVD


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コメント 2

オオタ

神式葬儀を過去に経験したことがありませんので、とても興味深く感じました。畳の上で死ぬことができれば葬儀方法にはこだわりませんが、たしかに明るく見送ってほしいものです。
by オオタ (2006-09-10 05:02) 

はるかぜ

神道ではお祭りもお祀りもおなじ おまつり なのでしょうか。我々は畳の上で死ねるのでしょうか?理想の死に方ですね!「死に方用意」は男たちの大和での長島一茂扮する上官の講義でした。
by はるかぜ (2006-09-10 20:26) 

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