映画「真夏の方程式」 [映画]
福山雅治主演映画「真夏の方程式」を観た。
テレビシリーズの「ガリレオ」は一度も観たことはないが、映画「容疑者Xの献身」は観たことはある。
物理学者の湯川准教授が事件にニアミスで巻き込まれてはいないが、科学的知識で警察側と協力して推理していくサスペンス。
私は、人が死ぬのが前提のサスペンスものを極力避けてきた人生だったが、どうせ人は一度は死ぬんだし、死ぬために生きているのだから目をそらさずに観ようと思って方向転換。しかも理系にあこがれた人生だったので、このサスペンスは渡りに舟のような内容だった。全てを知って、生きる道を選ぶ。そんな湯川博士のセリフが身に染みた。こんな先生と出会っていれば、赤点三昧だった私の物理嫌いも違っていたのかもしれない。(人のせいにするな!)
柴崎コウとのテレビシリーズもまだ観ていないので楽しみだ。いやぁ実に面白い!
※娘の中学校の同級生が甲子園にレギュラーで出場するらしく、知り合いが甲子園に出るなんて滅多にないチャンスなので応援に連れて行ってきますので、ブログはしばらくお休みします。閲覧頂きありがとうございます(^_^)
ドラマ「パーフェクト・ブルー」 [ドラマ]
2010年WOWOW製作・宮部みゆきみゆき原作ドラマ「パーフェクト・ブルー」を観た。
今現在、春の選抜高校野球が甲子園で行われているが、甲子園の切符をかけた決勝戦で完全試合による優勝をしたエースが殺される。彼の家出中の弟に容疑がかけられる。
元刑事の探偵親子が彼を捜索するのだが、大手製薬会社まで含めた様々な疑惑が交錯してくる。
完全試合を達成したエースは少年野球時代から製薬会社から無償提供されていた「パーフクト・ブルー」というドーピング検査薬を開発するためのスポーツドリンクを飲まされていた。彼だけでなく、弟含むチーム全員が飲んでいたのだが、副作用を発症する選手も出てきて、社会復帰できない苦しみを味わっている。子供たちがモルモットにされて、それを公表しようとするジャーナリスト、製薬会社社員、隠蔽しようとする社長・親・・・。
私たちは「モルモット」にされているのでは?と痛風薬を毎日飲みながら感じることもある。食事によるプリン体の影響は2割と分かってきているのに、プリン体食品を控えるように言われ、薬を死ぬまで飲まされる。
いきなり死んでしまうと、せっかくのカモがいなくなるから、出来るだけ長生きさせて薬や診療報酬で儲ける。痛風や糖尿病や高血圧が一番好都合なのかも。そんな世の中の裏側を垣間見たようなドラマでした。ドラマは当然フィクションです。
映画「笑う警官」 [映画]
2009年角川春樹脚本・監督作品「笑う警官」を観た。
原作は「うたう警官」で2005年「このミステリーがすごい!」で10位、実際にあった北海道警による裏金事件をヒントに書かれている。「うたう」は警察の隠語で「自白する」を意味するがわかりにくいとのことで「笑う」に変更されたとのこと。
今、東京都でも百条委員会というのが行われているが、北海道警の裏金を調査すべく、道議会が百条委員会を設置。証人は嘘をついてはいけないらしいが、誰が証人に呼ばれているのかは明らかにされていない。しかし、証人予定の警官が殺人事件の容疑者に仕立てられ、道警察トップより射殺命令が下る。
射殺命令を受けている逃げている警官より仲の良かった警官に「俺は殺していない。助けてくれ!」とSOSが入る。
助けようとする警官(大森南朋)が指揮する裏チーム対道警との闘いが始まる。
裏切りあり、正義とは何なのか?裏金事件は実際にあったことから、観ている私も人間とか警察不振に陥る場面もあった。
今年に入り、初めてサスペンスの世界にハマってきたが、だましだまされ、人間不信に陥りそうである。
wikiによると監督の角川春樹は東映側に「動員が150万人を超えなかったら映画を辞める」と約束したらしいが、実際の動員は10万人に満たなかったのだとか。それ以降本当に撮っていないから本当に辞めたのだろうか?今後、新たに角川春樹監督作品が現れたら、益々人間不信に陥るかもしれない。
山口県しゅうニャン市-その2 [社会]
先日、山口県しゅうニャン市であったSCANDALのライブ。
20代の女の子メンバーのtwitterを観ると・・・早速、四人がネコのポーズをとって「しゅうニャン市最高、にゃんにゃん。ネコ飼いたくなった。また来るよ」とあった。(四人それぞれつぶやいているので、四人併せるとこんな感じだった)
これは、しゅうニャン市としては上々の滑り出しではないだろうか?
周南市には箱物(ホールや大型ライブハウス)が充実している。1800人収容のコンサートホール、600人収容のライブハウス、100人規模のライブハウスとアーティストの人気具合に応じてマネジメント側は選択できる。
周南市駅前がシャッター街になったのは、駐車場が有料だからだ。都会では駐車場有料は当たり前かもしれませんが、田舎では郊外型大型複合施設(駐車場無料)に流れ、中心地が寂れてしまったのである。
でも昨日の600人収容のライブハウスは、中心地にある昔映画館だったのを改装してライブホールに改造。どうしても有料駐車場を使わないといけない。私たちが若かった頃は(バスや電車で行って)ライブを観た後は居酒屋で一杯やるのが常だった。ということは昨日はライブハウス周辺にある居酒屋も大盛況だったのではないだろうか。車代行運転も賑わっただろうし、公共交通機関も増えたに違いない。県内各地というよりもtwitterを見る限り全国からの追っ掛けもいるわけだから全国から600人しゅうニャン市に集まるのである。もしも毎日完売できるアーティストが来たら一年365日で22万人が集い(まぁそんなことは有り得ないが)周南市の人口は15万人なので累計でそれ以上の人達がお金を落としていくのである。
実際に周南市に住む私でさえ、昨日のSCANDALのチケットは取れなかった訳であるから。他にもMAN WITH A MISSIONやMY FIRST STORYもこのライブホールでのライブは即日完売だったらしい。
先日観た映画「日々ロック」の中で出てくるセリフ「ロックは世界を変えられる!」ではないが、実際に変えられるかもしれない。後は頭の固い役所の人達がどう采配していくかだけである。
映画「オー!ファーザー」 [映画]
吉本興業製作・2014年公開・伊坂幸太郎原作・岡田将生主演映画「オー!ファーザー」を観た。
wiki→
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC!%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC
よしもとだからお笑いとして観てもいいし、伊坂幸太郎だから複雑なサスペンスとして観ても面白いし、父親としての自信を失った時に、信頼回復のヒントとして観ても役に立つ。最後は不覚にもホロリと泣けました…。
母親が四股をかけており、出産当日に鉢合わせた四人の男性。大学教授に体育教師にホストにギャンブラー。どうせ別れるぐらいならということで、四人の父親として一人息子を同居して育てる。
息子に勉強を教える大学教授、ケンカの勝ち方を教える体育教師、女の子との接し方を教えるホスト、大人の世界を教えるギャンブラー。そこである事件に巻き込まれる。一人息子を必死で助ける四人の父親。
さすが、伊坂ワールド。映画「アヒルと鴨とコインロッカー」では衝撃を受けた。その伊坂氏さえも「観終えて、幸福な気持ちになれました。」と残している。私も息子が生まれた日に病院に駆けつけて、保育器に入る息子を1時間もただ眺めていたのを思い出した。
伊坂ワールドは奇想天外過ぎて、相当頭を使うから観るのに勇気がいるから遠ざかっていたが、今年に入りサスペンス慣れした私も伊坂映画化作品にまた触れてみたくなった。
テーマ別、俳優別、監督別、原作者別・・・etc 映画もネットサーフィンのように、自分の中で追っ掛けるテーマがその都度コロコロ変わるから面白いし、飽きない。飽きない=商いの原点かもしれないなぁ・・・。
私たち父親もいつかは死ぬ訳ですから、息子のために思い出の一つぐらい何か残ればいいですね。
山口県しゅうニャン市 [社会]
私が住む山口県周南市は人口約15万人の県東部に位置するコンビナートの街である。
以前、奥田民生のソロライブを周南市文化会館(1800人収容)で観た時、民生が曲中のMCで「周南市???徳山でしょう!?」と言っていたのを思い出す。
まぁ昔の人からしたら徳山なのである。
平成の大合併で、徳山市・新南陽市・鹿野町・熊毛町が合併して出来たのが周南市である。
昨年のエイプリルフール企画で「しゅうニャン市宣言」動画を製作。全国的に注目を集めたとかで(全然知らなかった)、今年に入り専用サイトを開設し、「しゅうニャン市」のロゴマークをあしらったポスターを作成してきた(全然知らなかった)。新年度予算に2500万円を計上し、市議会に諮ったところ「市の知名度向上につながるか疑問」「歴史的、文化的に見て何の裏付けも根拠もない」として事業費を別の予算に回すように反対意見が出た。事業費削除の修正案は反対14:賛成13の1差で否決された。故に「しゅうニャン市」で推進することが決まった。
人がネコになれるまち。
ネコのように自由に、のびのびと。
みんなが居心地よく暮らせるまち、山口県周南市。
ここは、人がネコになれるまち。
だから、「しゅうニャン市」という愛称なんです。
ゆるやかな時の流れに包まれて、ほっこりと。
あなたも、ご機嫌で、愉快な毎日へ。
さあ、しゅうニャン市でネコになりましょう。
サイトを見る限り、観光や飲食・物販、移住の推進やふるさと納税で人やお金を呼び込もうということなのだろう。市議会の議論も2500万円の費用対効果のようだった。
私からすると「面白いから賛成」である。
先日の記事にもあった自宅の倉庫全焼火事で焼け死んだ犬の代わりにネコを飼い始めた。犬は鎖で繋がれて飼われて自由でない。その結果、逃げれずに焼死。ネコなら鎖に繋がず自由に生きていけるからだ。命名は私に任され「ニャン太」と命名。そんなことを思い出した。
本日、SCANDALのライブが周南市RISING HALL(600人収容)であるらしく、完売らしい。県内には適度なライブハウスがここしかなく、恐らく県内各地から若者が集まるのだろう。面白いものがあれば場所は関係なく行くものである。息子なんかは友達と100㌔先から駆けつけてくるぐらいだから・・・
前述の奥田民生ではないがSCANDALの20代の女の子たちがMCで「ここ、しゅうニャン市なんだって!?」「面白いじゃん!」と言ってくれそうな予感。
時代は変わっていくのである。
映画「日々ロック」 [映画]
2014年公開・野村周平主演の青春映画「日々ロック」を観た。
wikiを観ると漫画の原作と若干異なるようである。まぁそれが映画化の良さなのかもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%80%85%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF
主人公のバンドはロックというよりもパンクである。あまりパンクは聴いたことがないが、不覚にも泣いてしまった。
「ロックは世界を変えられる!」と癌に侵され死に行くファンの女の子に雨の中、屋上ライブを敢行する。
映画は主人公が日々沼という苗字でもあるのだが、「日々是好日」という言葉もある通り、「日々ロックな生き方」をすべし!的な内容だと思う。
でもロックな生き方って何?
石(ROCK)のように固い意志を持って突き進め!と解釈しておこう。
この作品で主演の野村周平は二つの賞を受賞している→第10回おおさかシネマフェスティバル 新人男優賞(『クジラのいた夏』と合わせて)、第7回TAMA映画賞 最優秀新進男優賞。確かにインパクトのある役だった。音楽をテーマにした映画もなかなか面白いなぁ。。。
映画「罪の余白」 [映画]
2015年公開・内野聖陽主演映画「罪の余白」を観た。
先日観た「さまよう刃」に似たテーマで、父親が死んだ娘の仇討(かたきう)ちをする。
「事件か事故か。死んだ娘の親友は悪魔でした。」というキャッチコピーの通りで、現代社会のイジメの恐ろしさを目の当たりにした感覚でした。
大学で心理学を教える内野は、娘と二人暮らし。母親は娘の出産と同時に亡くなっている。仲良しの親子だったが、ある日突然病院から連絡を受け、娘が学校のベランダから落ちたとのことで亡くなる。警察は事故と事件(自殺)の両面で調べるが事故と断定。学校もイジメは無かったとする。
心理学を教えながらも、自分の娘のことは何も分かっていなかったと自暴自棄になり酒に入り浸る。
パスワードの掛かったパソコンに日記が綴られており、同級生に心理的に追い詰められていたことを知る。
学校や警察も敵に回すこととなり、独自に調査を開始し同級生に接触していく。
酒を断ち、自分の死も覚悟しながら、自殺に追い込んだ同級生を「刑務所にぶち込んでやる!」と心理戦をふっかける。
同級生はダブルバインドという心理戦で娘を追い詰めていたのだ。wikiよりダブルバインドについて→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89
どちらを選択しても逃げ道が無いようにして二つの質問で相手を支配していく手法。「自殺」or「誰かを殺す」
内野も逆ダブルバインドで犯人を追い詰める。「真相を言う」or「俺を消す」
私も17歳の娘を持つが、学校では似たような世界があるのかもしれない。友達を維持するために自分の何かを犠牲にして付き合う。映画では誰とも付き合わない、いつも一人の女子生徒が現れるが、今のご時勢、協調性よりもこのような一人でも強く生きていけるように育てることが必要なのかもしれない。その子だけが同級生の悪魔と毅然と対峙して真相を証言しようとする。誰ともつるんでいないから怖いものがない。強いのだ。人は弱いから誰かとつるもうとするのかもしれない。特に多感な女子高生なら尚更である。
タイトルは「罪の余白」だが、観て丸一日経過するが、余韻がずっと残っている。
主人公のように、警察や学校や社会を敵に回しても、嘘が無いなら一人強く生きていきたい。
有り得ないけど起こる [社会]
毎日、事件や事故は全国のどこかで起こっている。火災も日々起こっているのかな?
前回の記事で思い出したことがある。
以前勤務していたお店で・・・20代の女の子と一緒に勤務していた時の事。街道沿いのお店なのだが、消防車がサイレンを鳴らしながら、何台も行く。その女の子が「近くで火事でもあったんでしょうかねぇ・・・」と私に言う。
翌日、その子が急遽お休みだったので責任者に聞くと・・・その子の家が全焼だったとのこと。おじいさんが亡くなったとのこと。
私が小学生の頃、家に帰ると農業用倉庫が全焼していた・・・というのも思い出した。倉庫の角に犬小屋があり、飼っていた犬が鎖で繋がれていたので丸焦げになって死んでいた。
今は禁止されているが、昔は野焼きというのは当たり前のように行っていた。私が草に火をつけたら別の倉庫の壁を焦がすというのも経験している。あっという間に燃え広がるのだ。
有り得ないけど、起こるのだ(私が経験した離婚だってそうだ)!
ガスで料理をする人、石油ストーブを使う人、タバコを吸う人は特に氣をつけましょう。 (あと、結婚している人も・・・)
映画「さまよう刃」 [映画]
2009年公開映画「さまよう刃(やいば)」を観た。この作品で主演の寺尾聰は第19回日本映画批評家大賞主演男優賞を受賞している。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%BE%E3%82%88%E3%81%86%E5%88%83
二人の未成年の男たちにレイプの後、殺された娘の父親が復讐(二人を殺しに行く)する物語。
私も17歳の娘を持つので気持ちは十分わかる。
レイプ犯罪って身近に無い出来事と思っていませんか?
私が以前勤務していたお店の従業員さんの友達が被害に遭ったのだとか。被害現場は人口3万人の小さな街。そんな街にもレイプ犯は捕まらずにのうのうと生きているのだ。
それが人口10万人、100万人、1000万人の都市となればなる程、確率は高くなる。
夜遅くのコンビニで「それ、風呂上りのパジャマでは?」と思う格好で一人買い物をする女の子も見かけるが、もっと親が世の中の危険性を教え込まないといけない。世の中、良い人間ばかりではない。確率的に悪い人間も存在するのだ。
映画では、未成年が起こした殺人は、現在の法律では10年で世の中に出てくるから、私がこの男を殺す!と警察に予告する。警察はレイプ犯を守るために動く。何ともおかしな世の中だ。
東野圭吾という人のサスペンスは最後の最後にどんでん返しがあるみたいだ。
一昔前のように「誰も見ていなくても、お天道様はちゃんと見ているんだよ!」と子供たちに教えないといけない時代かもしれない。
個性=変 [社会]
もしも、日本人1億2千万人が個性を否定されたら、お隣(といっても隣接していないので海を隔てた半島の独裁者政権のお国)のようになるのかもしれませんが、私には強烈な忘れられないフレーズがあります。
私は大阪のある大学で、軽音楽サークルに所属しておりました。軽音サークルも二つありまして、一つはマニアックなというか音楽をひたすら極めるサークルと、私が所属するのは「HUMAN BEING」という名前だけあって、音楽だけでなく、人間というものを同時に追求する(!?)サークルでした。
1980年代当時バンドブームで在籍者が100人ぐらい居るサークルを取りまとめる最高責任者(部長)になった私の同級生(この役職決定過程も面白く、一個上の先輩が一年間というか(一年半)入部してからずっと見てきて、コイツなら大丈夫だろう!という音楽技術の上手い下手ではなく、人間的(ヒューマンビーイングだけに)な部分を観てきて判断するのだ。その我らが部長が言った言葉「変というのは俺の最高の褒め言葉やで!というのはな!『変』というのは人は違っているということであって、お前○○(私のこと)・・・めっちゃ変やで!」と生粋の大阪人に言われたことを今でも誉れと思って生きている。
先日の「今のイジメ」の現状を知り、教育の矛盾を知り、逆に「変でもええじゃないか!」と江戸時代に起こったとされる「ええじゃないか!一揆」を一氣に起こしたいぐらいだ!
40人学級でたった一人変わった人(例えば、ピアノが弾ける)がいると1対39のイジメが起こるから「ピアノが弾けること」を誰にも言えないのだとか。私からすると「ピアノが弾ける」ことは尊敬に値するのに。何だかおかしな世の中だ。
そんな変なイジメ社会なら、あえて口に出す必要ないが、自分の中の「変」(人と変わっていること)を自分が存在する意義・意味として、個性として大切に生きていきましょう!
二つのまる [社会]
先日の子供たちとの月に一度の面会日、車が2シーターのため、同じ日に時間差で会うことになっている。
明るい時間に車好きな息子とドライブ、夜はカメラ好きな娘と夜景を撮影。
ドライブと言っても峠を攻める走り屋というやつである。(車線をはみ出したりはしないからご安心を)左側は誰もいないだだ広い空き地での息子のドリフトの跡の丸い輪。実は私も46歳にして人生初ドリフトをした。ドリフトの練習をするそんな親子も居ないだろうなぁ。
右側は河豚(ふぐ)で有名な下関にある遊園地の観覧車。私の携帯は30万画素なので上記のような荒い写真だが、娘はお年玉で買った1800万画素の一眼レフで寒空の下でも対岸の北九州の美しい夜景を何十分も撮り続けていた。
二つの異なる丸を観て思うのは・・・個性って大事だなぁ・・・ということと、趣味を持つことは生きる原動力になるのかもしれない・・・ということ。
離婚して悲しい思いをさせたと思うが、彼・彼女なりに何かの小さな楽しみを見つけて生きてきたのだろう。
二つの丸を足すと二重丸◎になる。息子と娘に二重丸の上に花マルもつけてやりたいほどだ。昨日の話ではないが、個性的でありながらイジメもなく、趣味もみつけて自分なりに生きてきた。後は社会に出て順応していけるかどうかだ。 それが一番難しい課題かもしれない。私も今の社会は生きづらい訳だから・・・
最近のイジメ [社会]
私の息子もこの4月で高専5年生、娘も高3となる。イジメに会わずに成長してきたので、イジメ事情に疎かったのだが、最近のイジメというのは私たちの小さい頃のイジメと違うようだ。
私たちの頃は、ガキ大将がいて、横着な同級生や先生をいじめていた。勉強が出来ないからイジメるというようなことはなくて、自分たちも勉強が出来ないからバカに出来ない立場にいた。勉強は出来なくてもスポーツが出来るやつ、スポーツが出来なくても勉強が出来るやつ、勉強が出来なくても絵や漫画が上手いやつ、それぞれの個性を尊重していたような気がする。
その後、偏った平等教育・ゆとり教育を経験して歪んだイジメになっているのだとか。
というのも、人と違っていたらイジメられるのだとか。例えば「ピアノが弾ける」のに人と違うから黙っているとか、40人学級だったとしたら1対39でいじめられるのだとか。メールやラインもすぐに返信しないと仲間外れにされ、イジメられるから四六時中スマホを見ていないといけないらしい。
何だか今を生きる子供が窮屈でかわいそうになってくる。技術の進歩や便利さは本当に素晴らしいことなのだろうか?「三丁目の夕日」の頃の方が幸せだったのかもしれない。といっても映画では無く実際のその頃を知らないから、実はどっちもどっちなのかもしれない。
私は未だにスマホを持っていなくて、先日もGEOのネットチャンネルを店舗で登録する際に「スマホはお持ちですか?」と聞かれ・・・「持っていません。」と答えると「ガラケーですか?」と聞かれ・・・「ガラケーでもありません。PHSなんです。」と答えると「メールは出来ますか?メールさえ出来れば何でも結構です!」とのことで、「メールと電話のみなんです。」と答え手続きが出来た。今のご時勢スマホが当たり前でアプリのみ対応のサービスもあるから少し戸惑った。私の場合、TVは無くても生きていけるが、ネットが無いと生きていけないかもしれない。スマホは無くてもwifiが無いと生きていけない。こんな変わったタイプは今の時代ではイジメ対象なんだろうなぁ・・・難しい世の中だ。今私が学生でなくてよかった。
でも、人とは違う・変わっている!というのは素晴らしい個性である。徒競走を皆で手を繋いでゴールするというおかしな教育が今の現実を作ってしまったのかもしれない。教育というのは本当に大事だ!
人と違っていいんだ!他人はどうだっていい!もっと自分を極めろ!
そんな教育があってもいいと思う。
笑いを生活に取り入れる [社会]
母の趣味はTV鑑賞のようである。毎朝、新聞のテレビ欄をチェックして、今晩は何を観ようか決めて、昼の農作業をがんばるのだとか。夜、母の部屋からケラケラと笑い声が聞こえる。バラエティ番組の様子である。母が75歳でも元気なのはそんな日々の笑いのおかげなのかもしれない。
笑うことで癌細胞も消えることもあるらしいから、間違いでもないのだろう。
ただ、日々笑うことは難しい。
そこで、最近ハマっているのは「お笑いDVD」である。お笑いyoutubeでもいいだろう。
雑多なコンビが出演するような番組では、笑いのツボが人によって違うので、笑えない場合もある。そこで好きなコンビが自分たちの舞台公演を1時間程度収めたDVDというのがある。これならツボをおさえてくれているのでハズレがない。私の場合、サンドウィッチマン・アンジャッシュ・さらば青春の光・東京03などなど。
芸人でなくても面白い一般人はいる。そんな人は私たちと思考回路が違うのだろう。常に面白いことを考えているのだろう。自分一人でも「一人ノリツッコミ」 や「一人ボケツッコミ」を実践しているのかもしれない。私もちょっとやってみようかな?そしたら、お笑いDVDに頼らずに死ぬまで笑って生きていけるのかもしれない。口に出してしまうとそれを偶然聞いた人が「寒い!」と不快感を感じてしまうかもしれないから、黙って自分と対話する感じで・・・
本当に野菜が必要なのか? [社会]
最近発売されたカゴメの「野菜生活100smoothie」のベリーミックスにハマっている。
http://www.kagome.co.jp/products/drink/10340/
1日に摂るべき野菜350gの約半分が摂取できるというのと、砂糖・人工甘味料不使用ということだからだ。
にんじん、キャベツ、なす、アスパラガス、セロリ、はくさい、だいこん、ケール、レタス、クレソン、ほうれん草、パセリ、ビート、かぼちゃ、りんご、レモン、ブルーベリー、クランベリーが入っているのだとか。味も美味しい。毎日こんな野菜と摂ることは出来ないから毎日続けたくなる。
ある科学者によると・・・厚生労働省が言う「一日350gの野菜の摂取」というのはいろいろな論文を読んでも根拠は無いらしい。
私なりの結論であるが・・・糖尿病になってもらうための秘策なのでは?
マッチポンプというのをご存知だろうか?
子供にマッチ(ライターでも何でもいい、火遊びの元となる道具)を与えておいて、同時に火消し役の水の入ったポンプも用意しておくという陰謀論である。花火をする時にバケツに水をあらかじめ用意しておくというやつである。火事を人為的に起こさせて、解決策も即用意しておき、頼りにしてもらう(お金の出費)というやつである。
私は農家だが、一日に350gの野菜を毎日食べるというのは不可能である。
それを逆手にとっているとしたらどうだろう?
野菜を普通の調理では350gは食べれないから、このサプリ(野菜350g相当)を摂りましょう!とか、この商品を飲めば一日推奨の半分の野菜が摂れますとか・・・だったら賢い人は二本毎日飲むことでしょう。でもこここに落とし穴があるらしく、ジュースとして加工される段階で必要な成分は飛んで無くなっているらしく、実際に使用している量は間違いないのだろうけど、乖離(実際に生野菜を食べるのとかけ離れたカイリ )があるのだとか。
それと・・・野菜ジュースとしてその成分を摂っているのに慣れると、実際の野菜を食べた時にその成分摂取がしににくなるのだとか。故にサプリに頼っている人は永遠とサプリを摂らないといけないのだとか。
私は痛風患者で生き死に左右されるので「糖質」とか「糖類」に意識して生きていかないといけない。
その砂糖不使用のスムージーには約30gの糖質が含まれる。スティックシュガー10本分である。
コーヒー一杯に目の前でスティックシュガー10本入れる女性や男性が居れば引きませんか?
当然、野菜にも糖分があり、厚生労働省の推奨する一日350gの野菜を摂取すると60gの糖質(スティックシュガー20本分)を摂取することになる。これでは毎日糖尿病患者を作り出す為の推奨なのではないだろうか?
作り出す企業が悪い訳ではないと思っている。企業努力の一環なのだから。無知な消費者が一番いけない。だから自己防衛の為に私たち個人が少しづつ学んでいかなければいけない。痛風になった私は、子供にもなって欲しくない為にこれからは食育を少しづつ行っていきたい。これが最後の子供に対する仕事と思っている。このブログを子供たちがいつか読んでくれればいいのだが、それは期待できそうにないので口述で実践することにする。
ハイブリッド [社会]
会話することの大事さ [社会]
母はよく姉や妹に電話をしている。
でも、こちら側が話したいことがあって電話するのに、相手から一方的に話をされて自分は聞く側に回るのだとか。
ご主人を亡くされた姉やご主人の母の介護をしている妹からすると・・・いろいろと話たいけど、日常では心を許して話を聞いてくれる相手がいないのかもしれない。
私は男版出戻りで、昔なら「穀潰(ごくつぶ)し!」(無駄飯食い)と非難されただろうが・・・実際に家の米は私が作っているので「穀作り!」ではあるのだが・・・母が言うには「あんたが私の話を聞いてくれるから、ガス抜きにはなっているのだろう・・・」 と。私も興味も無い「芸能ニュース」や「昨日のクイズ番組」や「昨日のサスペンスドラマ」の内容や「ご近所さんとの出来事」を「ふんふん」と聞いたり、相槌を打ったり、「それはこういう事かもしれない!」と示唆したり、まぁ適度に相手しているから少しでも役に立っているのかな?
私の場合、ブログだったり、もう一人の自分との対話だったり、結構楽しんでいるからあまり人と話たいとも思わない。「私に話かけないで」オーラを出しているから、誰も話しかけてこない。それでも話しかけてくる母はよっぽど、たまっているんだろうなぁ・・・。
夫婦で生活している人達は「夫婦でもっと会話しましょう!」
親子で生活している親は「子供ともっと会話しましょう!」
一人で生活している人は「もう一人の真実の自分と会話しましょう!」
※今振り返れば・・・子供との月に一度の面会日の時は私が一ヶ月身近にあった出来事を一方的にしゃべっている(笑)「こうこうこういうことがあってね」と娘に言うと・・・「それ前聞いた!」と返されたので・・・「実はその続編で・・・」(実際にその続きの話をしたかったのだが、私の場合、前振りが長いようで、本題に入る前にあしらわれる。そういえば、小学生の頃、読書感想文で皆の前で先生に悪い書き方例として怒られた。というのも図書室でどうしてその本を手に取る気になったのか?から書いた訳で、本の感想まで程遠いからだ・・・。小6の12歳の頃から変わっていない・・・私。人間は未熟な生き物らしいが、12歳から私の脳の成長が止まっているのだろうか?でも18歳ぐらいから人間の脳は大して変わらないらしいですヨ。
私も母も<おあいこ>というか親子はやっぱり似ているのかもしれない。
フッガービーツ氏の地震予測 [社会]
最近、私のブログ内で「フッガービーツ氏の予測」を閲覧する方が多く、何故だろう?と思っていた。
彼はオランダ人の地震予測者で太陽系の惑星配列から地震予測する人だ。
日本でも今まで何千億円の国家予算を使って地震や噴火の研究が行われているらしいが、御嶽山の噴火で何も役に立っていないことが証明された。
個人で情報発信している人の方がよっぽど役に立つ時代である。
例えば、月と地球との距離による予測でいうと最近日(最も距離が近い日)は3月3日だそうだ。
熊本地震も的中したフッガービーツ氏(他にも7つ的中。ただしその期間に地球上で大規模な地震が起こるというだけでどこで起きるかは不明だから厄介だがそれでも有益な情報である)が1月に情報を発信しているのだとか。2月24日~3月8日にかけて太陽系内の惑星直列が12も発生するとのこと。よって「2月最終週と3月の第1週に地震活動が劇的に増加する」 とのこと。M6規模でM8~9も有り得るのだとか。英語がわかる人は彼のサイトDitrianumを閲覧して欲しい。先日も日本で震度5弱があったから油断は禁物だ。
災害は忘れた頃にやってくるから、忘れなければいいだけの話でもある。
地球上のどこか!と言われるぐらいがいいかもしれない。日本以外の場所を予測されると安心しきって、それが予測誤って日本だった場合、不意をつかれる。地球上70億人が同じ土俵で皆生きているのだから皆平等に地震という試練と対決しなければいけない。先の月との距離も併せて考えて明日(3月3日)が要注意であろう。何もなければそれに越したことはない。備えあれば憂いなし・・・
でも・・・3月の第1週って今週のことなのか?今週は2月最終週に掛かるのか?もしかして彼の言う3月第1週は(3月8日まで要注意と言っているから)来週のことかもしれない。来週と漢字変換したら「来襲」と変換されたからこっちの方が何かのサインなのかもしれない。
人間と鳥 [社会]
最近は米作りのための準備段階「田起こし」や野菜作りのための「畑の耕し」を行っている。
トラクターで耕し始めると鳥やカラスが寄ってくる。
耕した後のトラクターをゆっくりと追いかけてくる感じである。
耕した田んぼには冬眠していたカエルが無理やり起こされてムクムクと動き出す。
畑ではミミズや虫が掘り返されて地中から出てくる。
それを狙ってやってくるのだ。あんな小さな頭なのに「かしこいなぁ」とつくづく感じる。
人間の脳は未発達な状態なのだとか。故に自分中心で物事を考えたりするらしい。
鳥はトラクターの前に出てくることはない。それは命の危険を本能的に知っているからかもしれない。
人間はどうだろう?先日も車が行き来する大きな道路を、横断歩道も無い場所を堂々とゆっくりと渡るおじさんがいた。しかも夜で黒い服を着ている。轢かれて死んでも自業自得だが、轢いた車やバイクが悪いとされる。
自分の命は地球より重いから誰も轢かない(止まってくれる)とでも自分中心に思っているのだろうか?
一切トラクターの邪魔をしない名前も知らない鳥やカラスの方が賢いと感じる。
スマホをいじりながらとか、酒を飲んでとか、子供たちの通学の列に突っ込む人間もいる。人間の脳は鳥の脳みそ以下なのではないだろうか?
人間は本当に霊長なのだろうか?そのうち、SF映画ではないが、邪悪な地球外生命体に取って食べられるのかもしれない。そのために存在しているのかもしれない・・・とさえ思えてくる春の土作りの一日でした。