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夜のシャボン玉アート [社会]

近くの海水浴場が夜はライトアップされていると知り、観に行った。

砂浜が七色にライトアップされ非常に幻想的だった。

遠くで何かキラキラ光るものが飛んでいるのが見えた。

何だろう?と近寄ってみると、30代の男性が幻想的な音楽を流しながら、シャボン玉アートのパフォーマンスをやっておられる。何でもその男性も、砂浜がライトアップされているのを聞いて、趣味でやっているのだとか。


海をバックに砂浜に向けて、鈴なりになったシャボン玉がキラキラと輝きながら風に吹かれて、幻想的に飛んでいく。


子どもたちが無邪気にそのシャボン玉を追いかけて割ろうとしたり、カップル達が砂浜に座ってスマホで撮影していたり、女性陣が「今度うちの病院でやって欲しい!」とお願いしていたりする。


とにかく、不思議な体験だった。

私たちは日々の生活に追われ、他人まで喜ばそう!と余裕が無い時もある。

しかし、この男性のように、自分の時間を他者の為に使って喜んでもらおう!楽しんでもらおう!とする人も居られる。非常に感動したし、自分の心が喜んでいるのが分かった。

「キレイ!きれい!」と拍手してあげるぐらいしかお礼は出来なかったが、みんなが喜んでいるのを見て、その男性も満足している様子だった。


私たちは一人で生きているような錯覚に陥るが、社会全体の一部として生きている。働いている(子育てや家事という専業主婦も含む)というだけで社会に貢献しているといえるが、プライベートな時間までも他者の為に使うという行為に感動した。ブログももっと更新しようと思いました(笑)。

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生きてるだけで丸儲け [社会]

いまる・・・は、さんまと大竹しのぶの娘の名前である。


「生きてるだけで丸儲け」の短縮形?で「い・ま・る」


つい、最近知ったのだが、さんまの師匠「笑福亭松之助」がよく使っていた言葉だったという。


さんまも1985年の御巣鷹山墜落の日航ジャンボ機に乗る予定だったらしいから、より、今を生きているだけで幸せ!ということなのだろうか?


私も、昨日の記事にも書いた「生きているのが不思議な」事故を経験して、「生きているだけで十分」意味のあることであり、価値のあることだと感じている。


車は廃車レベルだが、無傷で何もなく生かされたということは・・・「生きろ!」というメッセージであり、まだ「私」という役割が残っているということなのだろう。


私の役割って何なんだろう?


皆さんが生かされている役割って何ですか?子どものため?孫のため?パートナーのため?職場のため?社会のため?兎に角、生きているだけで何らかの意味があるはずです。


今を精一杯生きましょう!

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初、発炎筒 [社会]

ご閲覧の皆様、ご無沙汰しており大変申し訳ありませんでした。

この一ヶ月いろんなことがあり、現実に追われ、現実逃避ならぬネット空間逃避をしておりました。

しかし、久しぶりに自分のblogを見るとコメントがあり、しかも更新していないにも関わらず毎日一定数の閲覧者があり、キーワード検索で私のブログがヒットするのなら2784の記事があるので理解できますが、恐らく、同じ方が「更新まだか?」と覗いておられるのでは?と感じると・・・こんなダメ人間ではいけない!と気持ちを新たに再開させていただきます。


知らないことを知る・・・ということは良いことであり、誰かのアホな体験で何かを知ることも意味があるのかもしれない!ということでリハビリを兼ねて書きます。


実は先週、交通事故を起こしました。といっても単独事故でケガもなく、生きているのが不思議なくらいなのでご心配なく・・・。そこで車に搭載されている(ダッシュボード下に常備されている)発炎筒を人生で初めて焚きました。4月の車検の際に、ダッシュボード下のフックに掛かっている発炎筒が無いために、1個700円請求金額に入っていた。「ダッシュボードの中に1個あるやん!?」と思ったけど、やはり目に見える形で常備しないといけないのだろう。故に事故した時に発炎筒が2個あったのが幸いした(世の中に偶然がない法則)。


状況は夜勤明けの早朝6時過ぎ、5時頃から天気予報にはない雨が降り出していた。

片側1車線の急カーブを曲がりかけたところ、対向車が3台ぐらい連なってきた。恐らく無意識に「急」ハンドルを切ったのだろう。車とすれ違ったところ、車がスピンしてガタンガタンと何かに乗り上げて動かなくなった。歩道との分離帯の縁石に乗り上げたのだ。見通しの悪いカーブ先で進行方向を半分ふさいでいる。このままでは減速せずに進入してきた車に追突され多重事故になってしまう。とっさに車から降りようとしたがドアがきしんで開かない。助手席からすぐに降りて、その際、発炎筒を握り締めて、カーブの前まで走った。幸い後続車は無い。発炎筒を焚こうとしたが、焚き方がわからない。横に説明書きがあるが老眼で見えない。後続車が来る。手を振ってジェスチャーでスピードダウンするようにお願いをした。(学生時代、交通警備のアルバイトをした経験がここで活きるとは!)


その一台をやり過ごした後、めがねをはずして説明書きを読んだ。キャップをはずし、本体とキャップの外側をこすり付けるように書いてあった。(要するにマッチをする要領です!)


真っ赤な炎と白い煙がモクモクと雨の中でも出て、後続車も危険を察知してスピードダウンしてくれた。


そうこうしていたら、対向車のトラックのおじさんが「警察呼ばんとダメでぇ!」と言ってくれた。実はそのおじさんはお店の常連さんだった!(こんな偶然があるのか?)すぐにレッカー車を呼ぼうとしていたのだが、相手がある事故なら必ず警察を呼ぶのは鉄則だが、単独事故で呼ぶべきとは思いもよらなかった。すぐに110番通報したら10分ぐらいで駆けつけてくれた(発炎筒は1個が消えたので2個目を着火。車検時に700円をけちろうとしていた私を恥じた。)。その後、保険会社にレッカー車を頼んだが1時間ぐらい掛かるとのことだった。警察の方お二人が両方向で交通整理をしてくださり、片側交互通行に。その後事故処理車がやってきた。事故処理車というのは証明書を発行するためにあると思っていたのだが、油圧のジャッキで動かしましょう!ということになった。応援で3台目も駆けつけ、私含めて5人で少しずつ車を移動。その間、小学生が通学で塞いだ歩道を通る。(もしも時間がズレていたら、子供たちの列に突っ込んでいたかもしれない)


レッカー車が来た時には何事もなかったかのような状態だった。車は廃車レベルだが、「ケガがなくてよかったですね~」とまさにその通り。ただあの時、死んでいたら、自分が死んだのかもわからないぐらい何が起こったのかもわからない状況だった。恐らく死後の世界はあるんだろうなぁと感じた。気付いたら違う世界に居るだけの話なのでは?てか、私は既に死んでいて、このブログをあの世から書いているのかもしれない。


今日、「警察呼ばんとダメでぇ!」と助言してくれた常連のおじさんにお店でお会いした。「本当にありがとうございました。多重事故を防げたのもお客さまのおかげです!」と伝えて何か御礼にプレゼントしたいのですが、と言うと「俺もこのお店の人に以前、免許証忘れた時、助けてもらったから、気持ちだけもらうよ!」と言われた。世の中、持ちつ持たれつなんだなぁ・・・と改めて感じた。「それにしても、どうやったらあんな事故になるんや!」と言われた。警察の人にも説明したが、警察の人も反対側のガードレールにぶつかって跳ね返って反対向きに乗り上げたんではないか?と聞かれたほど。覚えていないが、恐らくスピンした際に反対車線にはみ出たのかもしれない。その時に対向車とぶつかっていたら運転席側と対向車で私は即死だ。エアバックもない26年前のロードスターだから(笑)。


それにしても警察の人は有り難かった。税金はちゃんと払おうと思った。(てか少額だが滞納せずという意味で)


生きてるだけで丸儲け!誰かさんの座右の銘ではないが、まさにそんな体験をした初夏の出来事でした。

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