本「101歳現役医師の死なない生活」 [本]
本「101歳現役医師の死なない生活」というのを取り寄せた。
母が新聞切り抜きを取っていたのを見て、私が興味を持った。
広告には大きくこう書いてある「老いになんか負けてたまるか!長生きは『運』ではなく、『習慣』で決まります。」とある。そして・・・項目としてこんな紹介もあった。以下転載。
◎毎日30分の散歩で歩ける体を保つ
◎太陽の光を1日15分浴びる
◎短時間の昼寝をすると、疲れない
◎毎朝、足腰の柔軟体操をする
◎ねこ背にならないよう、意識する
◎毎日15種類の野菜をとる
◎粗食でなく、肉をしっかり食べる
◎ヨーグルト、チーズなどの発酵食品を欠かさない
◎果物は少量でも毎日食べる
◎体の土台となるカルシウムをたくさんとる
◎老化を防ぐオリーブオイルをとる
◎週一の薬膳スープで生命力アップ
◎緑茶を飲んで活性酸素を減らす
◎甘いものを食べない
◎玄米や白米を適度に食べる
◎塩分を減らして素材を味わう
◎トランス脂肪酸を含む、パン、お菓子、インスタントラーメンは食べない
◎加工食品を口にしない
◎水を1日に2リットル飲んで血行促進!
◎薬は必要最小限に抑える
◎ちょっとした体の変化に気づく
◎体を甘やかすと衰えやすい
◎笑顔を作ると楽しい気分になる
◎一番のボケ防止は「会話」
◎イライラしない
◎「今日からあと10年は頑張る」と毎日決意する
◎死ぬまで未知のことに挑戦する
◎「できない」ことより「できる」ことに目を向ける・・・ほか。
・・・とある。読んだらまたご報告します!
瞑想を再開します [社会]
▼子供が生まれた頃の20年前、広島の狭いアパートで子供が寝静まった夜、一人瞑想を毎日していた。「この子たちが生きる世界が平和でありますように」そんな崇高な事を当初思って始めていても、いつか無になり、寝ていた。▼腹式呼吸というものが、非日常であり、呼吸に意識をしていると、いつの間にか自分というものが消える瞬間が訪れる。▼しかし、日常の喧騒や「瞑想はしない方がいい」という偽情報も相まって(信じた私が悪い)10数年間していなかった。▼しかし、先日、刈り取った田んぼの片隅で座禅をするが如く、日向ぼっこをしているうちにいつの間にか腹式呼吸の上、瞑想していた。▼非常に心地良いものだった。▼鳥のさえずり、風の音、山のこすれる木々の音、暖かい太陽の光…この上ない至福の時間が自分の内部にやってくる感じ。▼過去、家の中でしていた瞑想とは全く違った、何倍も心地よいものだった。▼私のように田んぼの中でやらなくても、都会でも公園はどこにでもある。▼大地に繋がるのがポイントなのだろうか?大いなる大地とプラグでつながる(充電する)感覚と言えるのではないだろうか?▼私が今、興味あるのは、大きな石とつながることである。大きな自然の石の上で瞑想をしてみたい衝動に駆られている。▼古代の石の記憶と繋がる瞬間というのが想像されるのだ。何かアクセスできるのかもしれない。▼私が住む山の中にドでかい石があるので、その上で瞑想してみたい衝動に駆られているのが今現在です。▼大きな石の上で座禅を組んで瞑想している変なおじさんが居たとしても山の中の私しか知らないスポットなので、誰にも見つかることはない。そんな秘境でやる瞑想体験日記も書いてみたい衝動に駆られている。乞うご期待!
語彙「ステレオタイプ」 [社会]
音響的にはステレオと対極にあるのがモノラル。私はステレオタイプと言うのは今の(49歳の)今まで良いものだと思っていた。昨日のコメント欄を見るまで・・・。何故なら、モノラル(単一)の反対のステレオ・・・左右二つのスピーカーを聞き分ける…聞き分けのいい人間(世渡り上手的な)のことだと思い込んでいた。でも私のいつもの変な記事に対するコメントで、そんな解釈はおかしいから…改めて調べてやっとわかった(笑)。画一的なという表現が私の中では府に落ちたが、真逆な内容だった。私はステレオタイプと今まで思い込んでいたが、そうではない、普通ではない思考パターンなのだということが・・・そんな記事をご覧いただき、ありがとうございます!
ステレオタイプ(英語表記)stereotype
〇ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説…ステレオタイプ(stereotype)→本来は同じ鋳型から打出された多数のプレート (ステロ版) の意味であるが,社会学や政治学の用語としては,一定の社会的現象について,ある集団内で共通に受入れられている単純化された固定的な概念やイメージを表わすものとして用いられる。通常それは好悪とか善悪の感情を伴った「できあい」の概念,あるいは「紋切り型」の態度というふうに訳される。ステレオタイプは,複雑な事象を簡単に説明するには役立つが,多くの場合,極度の単純化や歪曲化の危険を伴い,偏見や差別に連なることになる。特に支配者が社会統制の手段としてそれを意識的に操作する場合には,ナチスのユダヤ人に対する迫害運動,アメリカの「赤狩り」のような,大きな社会的弊害を引起す。 【出典】 ブリタニカ国際大百科事典〇知恵蔵の解説→様々な情報が氾濫する今日、人はメディアを通してしか事物を知ることはできない。そして、普通の市民は事物について多様な情報を吟味し、正しく事物を知るだけの余裕を持たない。メディアが伝えるイメージが固定化し、人は思考を省略してそのようなイメージに基づいて認識、判断を行うようになる。そのような固定化されたイメージをステレオタイプと呼ぶ。また、ステレオタイプを共有することは、人が社会の多数派に同調する際に必要となる。例えば、ナチス時代のドイツで、ユダヤ人にも善人はいると発言することの危険さを思い浮かべれば、同調主義がステレオタイプを通して蔓延(まんえん)することが理解できるだろう。これを権力者の側から見れば、ステレオタイプを作り出すことは世論を操作し、自らに対する支持を拡大する上で有効な手段ということになる。9.11以降の「イスラム」、拉致事件発覚後の「北朝鮮」など、その種のステレオタイプの例は枚挙にいとまがない。したがって、民主政治を健全に保つためには、ステレオタイプを打破する言説の余地を常に残しておく必要がある。メディアの多様性や言論の自由が大きな政治争点となるゆえんである。
(山口二郎 北海道大学教授 / 2007年)出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について→1 印刷で用いる鉛版。ステロタイプ。
2 行動や考え方が、固定的・画一的であり、新鮮味のないこと。紋切り型。ステロタイプ。「ステレオタイプの批評家」 出典 小学館デジタル大辞泉について元来鉛版の意味だが,転じて機械的に反復される事象を比喩(ひゆ)的にいうようになった。日本語の〈紋切型〉に相当する。(1)精神医学ではstereotypyを〈常同症〉と訳し,無意味な動作や言葉の機械的・規則的反復症状をいう。(2)社会心理学では一定の社会的対象に関して,ある集団の中で共通に受け入れられている単純化された固定的な概念やイメージを意味する。これは,未知の状況に対する迅速な適応を可能にするが,強い感情的要素を伴い,集団的な偏見を広める弊害がある。出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて
大辞林 第三版の解説〔ステロタイプとも〕
① 原版からとった紙型に、溶融した鉛などを流し込んでつくった複製版。鉛版。ステロ版。ステロ。
② ものの見方・態度や文章などが型にはまって固定的であること。紋切り型。 「 -の演説」出典 三省堂大辞林 第三版について
→日本大百科全書(ニッポニカ)の解説W・リップマンが彼の代表的著書『世論』(1922)でこの用語を用いて以来、社会心理学のみならず、広く社会科学上の重要な概念となった。彼はこの概念について次のように説明している。「多くの場合、われわれは最初に見てから定義づけるのではなく、最初に定義づけてから見る。外界の、あの途方もなく、ざわついた混沌(こんとん)のなかで、われわれは文化がすでに定義づけたものを選び出し、文化が類型化したままに、その選択されたものを知覚しがちである」。このように、ステレオタイプとは、特定の文化によってあらかじめ類型化され、社会的に共有された固定的な観念ないしイメージのことである。通例、紋切り型態度と訳される。その特徴として、(1)過度に単純化されていること、(2)不確かな情報や客観的根拠の薄弱な知識に基づき誇張され、しばしばゆがめられた粗略な一般化ないしカテゴリー化であること、(3)好悪、善悪、正邪、優劣などといった強力な感情を伴っていること、(4)人種差別(racism)や性差別(sexism)といった偏見に転化しやすいこと、
(5)偏見や誤認・誤解を生むが、同時に、社会的に共有される感情・認知・思考・行動様式を型にはめることで社会の統合と安定にも寄与していること、(6)新たな証拠や経験に出会っても、容易に変容しにくいこと、
などが通例あげられている。
人間がなぜステレオタイプに固執するかについて、リップマンは二つの理由を述べている。一つは、人間の環境適応におけるステレオタイプの認知的経済性ということである。ステレオタイプに頼らず、日常生活のすべての事物を新たに、詳細に知覚しようとすれば、たいへんな労力と時間が必要であって、次々に生起するできごとを考えると、実際上不可能である。いま一つは、ステレオタイプの意味体系はアイデンティティの核心であって、自我防衛のメカニズムであるからにほかならない。それは正確な世界像ではないけれども、「世界に関する秩序だった、多かれ少なかれ首尾一貫した映像」であり、人々にとって「よく知られているもの、正常なるもの、頼りになるものの魅力」をもち、「ひとたびすっぽりはまり込むと、履きなれた靴のように、気持よくぴったりとあう」のだ。その結果、ステレオタイプを揺り動かすものはなんであれ、われわれの存在基盤そのものへの攻撃となり、われわれの自尊心を傷つけることになる。ステレオタイプが価値規範や道徳を内包する信念体系である限り、ステレオタイプの意味体系は社会統制の有効な手段として機能する。人々が支配的なステレオタイプを受容せず、拒否するならば、反道徳的、反社会的というスティグマ(stigma、汚名、恥辱)を彼らに刻印し、非難と攻撃を浴びせ、制裁を加えても、正当化できるからであり、この正統性のゆえに、人々は一般にステレオタイプへの従順と同調を示すのである。現代社会では、マスコミがステレオタイプの培養基ならびに増幅器として、きわめて重要な役割を果たしている。① =ステロばん①〔舶来語便覧(1912)〕② ありふれたやり方。きまりきった型。特に、心理学で人間の行動・思考・性格などが型にはまって一様であるさま。ステロタイプ。【鉛版】より…活字組版(活字と線画凸版あるいは写真版を組み込んだもの)は,大量に印刷すると磨滅するから同じ版を多数作っておくと便利である。英語ではステレオタイプstereotypeといい,同型の版の意味で,日本でも俗にステロまたはステロ版ともいって,ごく少部数の活版印刷物を除いて,この複製版を利用することが多い。原版(活字組版)に紙型用紙を圧して作った紙型に,320℃くらいに加熱し溶融した鉛合金を流し込んで冷却固化したものを,印刷機にかけるのに便利な形に仕上げる。…
歴史は時間軸 [社会]
武田教授の「歴史は人物ではない:日本の歴史で覚えること」と先日観た映画「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック監督と似たものを感じた。
▼貴族支配から武家支配へ
★途中はいらない。文学ではないから。
▼150年前に選挙制度へ
「2001年宇宙の旅」の描写によると
▼草食動物としての人間
▼地球外生命体(超古代文明)による建造物に触れる
▼武器を持ち、肉食動物としての人間へ
★途中はいらない。(監督にとってみれば途中の世界史はどうでもよいのだろう…すごい世界観だ!)
▼いきなり人間が月へ行くシーン
▼月で発見された地球外生命体(超古代文明)による建造物に触れる
★途中はいらない。(恐らく進化というのは…飛躍的にジャンプするのだろう)
▼人間が木星へ(何故なら、その建造物が木星へ電波を発信していたから)
▼木星で地球外生命体(超古代文明)による建造物を観る
▼覚醒する。
となる。
私たちの日々の営みは、長い時間軸からするとどうでもよくて、今は火星あたりを探索している時代だろうから人類の覚醒まであと少しといったところだろう。映画の続編「2010年」によると、一人の覚醒者に触れれば、覚醒者は伝播していくのではないだろうか?(これは私の解釈です)
早く出でよ!覚醒者! もういるのなら表に出て来て欲しい!というより、もう既に私たちは、そんな覚醒者を目にしているのかもしれない・・・。コーリー・グッド氏がその覚醒者の一人と思いたい!
映画「たそがれ清兵衛」 [映画]
2001年公開映画「たそがれ清兵衛」を観た。
当時も観たのだが、今改めて観たいと思ったのは…江戸末期から約150年で人類が宇宙に行けるまでの科学技術を持った今、精神が逆に衰退した結果、もう一歩覚醒出来ずにいる…そこで、江戸時代の完成された精神を「井口清兵衛」とみると仮定(わたしの勝手な仮定)するならば、人類は、日本人から手始めに覚醒し始めるのではないだろうか?とまたまたおバカな発想をしたのだ。というか真剣に考えた。
▼「井口清兵衛」推定35歳▼下級武士▼禄高50石▼出世欲はない▼剣の使い手▼妻に先立たれ、幼い娘二人と痴呆の母と付き人一人を養う▼叔父からは女子供には学問は必要ないと言われるも娘二人に学問を習わせる▼同僚や上司は仕事終わりに飲みに繰り出すが、二人の娘の為に付き合わず▼武士の世が終わるならば、百姓になると漏らす▼午後半休となるが、帰って農作業に精を出す▼身なりを気にせず、お殿様より「武士は庶民のお手本となるべき」と言われ、改める▼上級武士に対しても理不尽な振る舞いに対して物申す▼友人の妹に恋心を抱き続けているが、相手の幸せを考え、自分を押し殺す▼愛の為に何としても生きるという覚悟を持つ。
武士という職種は、自分の命を犠牲にしてまで、藩全体を守るという仕事。その自己犠牲の精神と子供や好きな人を守ろうとするこれまた他者への奉仕。お金の大小や身分の上下というのに左右されないブレないものの見方。口の悪い叔父さん(丹波哲郎)が大っ嫌いだ!と二人の娘に言うウソをつかない正直さ。
女性視点からすると…宮沢りえ演じる「朋江(ともえ)」が参考になる。今までの体制に疑問を持つということである。「武士」と「農民」や「町民」が一緒に祭りを楽しんで何がいけないの?目上の人に議論を持ちかけて何がいけないの?「万機公論に決すべし!」上級武士の嫁に行くよりも、下級武士の心許せる幼馴染のところに嫁に行く(お金ではない。自分を愛してくれる、自分が愛する人のところに嫁ぐ…あるがままを受け入れる寛容さ!)。再婚の先にご主人が鉄砲に撃たれ亡くなるも、血の繋がらない幼い娘二人を立派に世に送り出す愛。
次の続編「隠し剣 鬼の爪」も参考にしたい衝動に駆られている。とにかく、なぜか今の私は江戸時代の精神性を学びたい!
本「メタル脳」 [本]
中野信子女史著「メタル脳 天才は残酷な音楽を好む」を読んだ。プロフィールと目次は以下の通り。ご興味ある方は本書を是非どうぞ!メタル好きな私でもメタルは特にジャンルが広がりすぎて聞いたことも無いバンドもあるし、専門的で少しわかりにくいです。私の結論は「メタルを聴いていてもいいんだなぁ…」「子供や孫が聞いてもいいんだなぁ…」という安心感を得たことです。
中野信子女史のプロフィール:脳科学者・医学博士、認知科学者。東日本国際大学特任教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用科学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。08年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。コメンテーターとしてテレビ番組に出演する傍ら、ベストセラーも多数。近著に「サイコパス」(文春新書)、「あの人の心を見抜く脳科学の言葉」(セブン&アイ出版)、「ヒトは「いじめ」をやめられない」(小学館新書)、「不倫」(文春新書)などがある。
第1章 わたしを救ってくれたメタル・はじめて「色のついた音楽」に出会った・「孤立してもいい」という安心感を与えてくれた・「自分の牙城」を守るために・「ガチ」な音楽を求めていた思春期・なめらかな音が「愛着」を形成する・メタルが自己評価の低下を食い止めた・メタルは緻密な「足し算」の音楽・世の欺瞞に対するルサンチマンを奏でる音楽・故郷の音楽のようにメタルはわたしの心に響いた・「女性であること」へのいくつかの嫌悪感・人間のネガティブな部分に向き合う音楽第2章 メタルが真の強い「個」を育む・人は自らの精神状態を表現してくれる音楽を求める・幸せホルモン・オキシトシンで決まる「愛着」のかたち・「怒りの音楽」が怒りを緩和する・幸せホルモンが「バッシング」を引き起こす・メタルファンは「裏切り」に敏感な人たち・メタルは「正義」の感覚を醸成する・「正しさ」と「美しさ」の名のもとにバッシングに走る人たち・メタルバンドは最初にファンと「盃」を交わす・人間の生存戦略は「社会性」をつくること・人間には「いじめる快感」がプログラムされている・メタルは「反社会的」ではなく「非社会的」・非社会的であることが強い「個」を育む第3章 モーツァルトよりメタリカを聴く・ただの空気の振動が人の認知を変える不思議・メタルを聴くと認知機能が向上する・メタルは子供を守ってくれる音楽・メタルは深い孤独感を癒してくれる・脳は「わかりやすいもの」が好き・「内向性」が高い人はメタル好き・メタルを聴くと頭がよくなる・医師は手術中にメタルやロックを聴いている・モーツァルトよりもメタリカを・クラシックとメタルは共通点が多い・国を代表えメタルバンドが創造した究極のシンフォニー・メタルファンはネガティブな感情に正直な人たち・メタル皮膚感覚を刺激して幸せホルモンを分泌させる・メタルファンは「全脳感」で自分を癒している・好きなアーティストをつい「ついバカにしてしまう」メタルファン・メタルファンはわざわざ成功を回避する・浮気しない相手なら断然メタラー!・メタルファンはプリミティブに生きている・メタルを聴くと「ウソっぽいこと」を見破れる・メタルは日本人に向いている音楽・あの戦国武将もヴィジュアル系だった!?・ナルシストは自分のことが大嫌い・メタルファンはオタクに似ている?第4章 メタルは世界の欺瞞を見抜く・民主主義の終わりがはじまっている・メタルファンは尻馬に乗らない・なぜ「あの有名人」は信用できないのか・メタルファンがポピュリストに嫌悪感を抱く理由・政治的スタンスは遺伝ですでに決まっている?・「個」をりっしながらも、まだ見ぬ「家族」を求める・メタルという内集団持つ攻撃性と「閉塞感」への一撃・大人メタルファンが獲得するメタ認知・メタルが暴く欺瞞ーなぜ人を殺してはいけないのか・社会通念を打ち破るメタルの存在意義
メタルというのは、音楽のジャンルの「ヘビーメタル」のことである。私も高校の頃からメタルを聴いて約35年になるが、「これでよいのだ!」と感じたし、子供にも勧めれば良かったと後悔した程である。子供が小さい頃、「モーツァルト効果」なるものが流布され、本書にもあるが、これは商売をする為のウソだったそうな~クラシックを聴かせていた。今思えば、ヘビメタを聴かせても良かったのだ。
そういえば、まだ、子供と一緒に住んでいた頃、子供に聴かせたことがあった数曲の中で、長男は「この曲が好き!」「また聴かせて!」とおねだりして来たのを思い出す。それは以下の曲です。子供も親の離婚を経験するが、音楽や野球や車や工学研究で乗り切ってくれたのも、この曲が好きという感性のお陰かもしれない。
マイケル・シェンカーによるセルフカバーバージョン(ヴォーカルは元イングヴェイのバンド ライジング・フォースのジェフ・スコット・ソート)「DOCTOR DOCTOR」→https://www.youtube.com/watch?v=17vkjHwQZw4
著者も親と離れ離れで多感な時期を祖父母の家で、ひっそりとメタルを聴いて周囲に迎合せず生きていたのだとか。私も離婚してメタルを聴くことで自暴自棄にならずに乗り切ることが出来た。メタルにはハマる人とハマらない人がいるのも事実。元嫁なんかはあからさまに嫌がっていた。だから封印した10年間がある、なので実質聞いていたのは25年だから自分の人生の半分。でもこれからの50年は、この本のお墨付きもあり聞き続けることが出来るので、人生の3/4はメタル漬けという計算になる。将来の孫にも自信を持ってメタルを聴かせてやるぞ!
この世の生き辛さはヘビーメタルが解決してくれます!…かも!?