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貝原益軒 [教育]

今日の格言:欲をおさえ、心を平にし、気を和にしてあらくせず、しづかにしてさはがしからず、心はつねに和楽なるべし 貝原益軒

 毎日携帯メールに送信されてくる今日の格言はこんな言葉だった。貝原益軒について知らなかったので、早速調べてみた。高校時代は受験用の地理を選択しており日本史はあまり勉強しなかった。でも、日本史の先生は面白い先生で、あたかもその歴史の瞬間を見てきたかのような語り口だった。ご高齢だったが人気のある先生だった。もっと歴史を学べばよかった。いや今からでも遅くはない・・・

貝原益軒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年(寛永7年) - 1714年10月5日(正徳4年8月27日))は江戸時代の本草学者、儒学者。筑前国(現在の福岡県)福岡藩士、貝原寛斎の五男として生れる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。
成長し福岡藩に仕えたが、二代藩主黒田忠之の怒りに触れ7年間の浪人生活を送ることとなる。三代藩主光之に許される。藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵、山崎闇斎、松永尺五らと交友を深める。帰藩後、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。 藩命により「黒田家譜」を編纂。また、藩内をくまなく歩き回り「筑前国続風土記」を編纂する。

幼少のころから読書家で、非常に博識であった。ただし書物だけにとらわれず自分の足で歩き目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持つ。また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体で書かれより多くの人に判るように書かれている。

70歳で役を退き著述業に専念。著書は生涯に六十部二百七十余巻に及ぶ。主な著書に「大和本草」、「菜譜」、「花譜」といった本草書。教育書の「養生訓」、「和俗童子訓」、「五常訓」。思想書の「大擬録」。紀行文には「和州巡覧記」がある。

 

学校法人中村学園の電子図書館に原文も紹介されているのでご参考まで。http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/index.htm


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コメント 3

はるかぜ

恥ずかしながら日本の歴史について今の年齢になってようやく興味が湧いてきました。でも遅くはないと感じています。今から勉強して今小学校の子供には教えてやれると思っていますから・・・
by はるかぜ (2007-02-06 13:43) 

live07151

貝原益軒を紹介した短文を最近読んだところでした。
ですが、
記憶にとどめたいなかったので今回のブログで再認識するに至りました。
ありがとうございます。

 歴史を学ぶ意義、それはひとえに先人の叡智を知る
ということにつきると思います。

 時代はかわれども、
その一瞬一瞬の選択は人間がやってきたわけですので、
 現代においてもしごく参考になる人物はたくさんいます。

僕は、どちらかといえば、日本史は苦手でした。
 現代史が得意といいますか好きでした・

今回のブログで

歴史に関する著書をなにか探してよんでみたくなってきました。
by live07151 (2007-02-06 19:40) 

はるかぜ

>時代はかわれども、その一瞬一瞬の選択は人間がやってきたわけですので・・・
今日一番感動した言葉です。そういわれたらそうなんですよネ!何か大事なことを思い出させていただきました。liveさんありがとうございます!
by はるかぜ (2007-02-06 21:53) 

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