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昭和な私たち [社会]

今、私が働いている職場で19歳の女の子が家庭の事情で辞めることになった。我が子を見ているようで、いろいろとフランクに話してきた延長線上で、うちの娘(23歳)の写真を見せた。お世辞にも「うわぁ、可愛い!」と言ってくれた。言わざるを得ない状況だったのか?「もしも、お父さんがあなたの写真をこうして持ち歩いていたらどう?」と聞いたら、「気持ち悪いです!」と言われた。(少し反省)ちなみにお父さんは43歳そうだ。ジェネレーションギャップでは無さそうだ。

話が変わるが、あのBON JOVI(バンド名)のリーダー兼ボーカル、ギタリスト、作曲家、作詞家、俳優のジョン・ボンジョヴィの娘さんがステージに上がって一緒にパフォーマンスする映像を見た。微笑ましくて何度も見入ってしまう。急ぐ方は5分頃からの映像でお楽しみ下さい。お父さんってこんな感じなんだなぁ~あのジョン・ボンジョヴィがですよ!なりふり構わず、ギターそっちのけで、嬉しさにかまけてダンスするシーンは父親として伝わってくる!娘も娘で断るどころか、ノリノリを演出している。(映像時間5分~)


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kawaiii155cm

そうですね。
私が幼い頃からを振り返ると、父は優しい人でした。
叱られたことがないのです。
一度、「ウレタンのつっかけを買って欲しい。」と言ったとき、「今のがまだ、履けるだろう。」と言われたことがすごくショックだったのが記憶に鮮明に残っています。たった、一度だけです。

父が弱いと感じ、もっと私が支えなければ…と思ったのが21歳の時。
父が胃穿孔で緊急手術、入院し、3ヶ月の入院の後、退院。
自宅前でタクシーから降りて来た父を、私は泣きながらを抱きしめました。
大学4年生で卒論の完成を急ぐ時期でした。
土曜日の夜、神戸から帰省、秋の収穫の手伝いをし、翌日曜の夜、神戸に立つ生活を続けました。父は61歳でした。

それからは、父の事がとても気になって過ごしていました。
そして、愛媛県に1泊2日で旅行した時、ナビもありませんでしたが、父が助手席に座ってナビゲーションをしてくれ、その正確さに驚きました。意外な父の一面でした。尊敬する出来事でした。
父は戦争で、戦地にいた間に、ローマ字や英語も少しできるようになっていたとのことで、驚く私に、道路標識や路肩の看板をよく見ていたのだと言っていました。
さりげなく、勉強をしている姿は96歳で亡くなる直前まで見せてくれまた。
ジョン・ボンジョヴィは特別かもしれませんが、やはり、親子の会話、コミュニケーション、互いの理解、認め合う気持ちの積み重ね、共通の楽しめる興味ある何かなど、よいサイクルができれば、楽しい親子関係ができるように思います。
生きていれば、109歳の父です。(笑い)
久しぶりに父の事を思い出しました。ありがとうございます。
by kawaiii155cm (2023-05-29 08:18) 

はるかぜ

ジョン・ボンジョヴィはダイアン・レインなど有名女優と浮名を残しましたが、最終的には高校の同級生と結婚。そして子供たちにはお父さんが有名人であることを伝えずに育てたらしいです。なので、普通の親子関係がたまたまステージで繰り広げられただけなのかもしれません。
私の父も今思えば、優しい父でした。母が言うには「子煩悩」で、「孫煩悩」な一面を見ると、私たちにもそうだったのかな?と亡くなって知ることになります。
お父様96歳まで長生きされたとは…遺伝子的にはそこまで生きられるという事でしょうからまだまだ30年近くありますね~。昔の人と食生活の違いがあるでしょうから(添加物)、あとはそれさえ氣をつければ・・・。でもおっしゃる通り、添加物は避けられそうにありません。日々意識はしていますが、氣にしてたらノイローゼになりそうです(笑)。
私も父の事、久しぶりに思い出しました。コメントありがとうございました。母はよく枕元に立つそうです。やはり、独身の私の事など心配が多く、引き寄せるのでしょう。
by はるかぜ (2023-05-29 12:30) 

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