愛情と思いやり-その2 [精神世界]
ここ数日「愛情」と「思いやり」について考えている。
「愛情」というのは、今まで自分が受けてきたことを思い出せばいい。
生まれてこの方、無償の愛を受けてきた。
おっぱいをもらい、オシメや服の交換、お風呂や食事。
朝・昼・晩の食事、洗濯、学費や送り迎え。
アイロンがけやお弁当。
親からしてもらった見返りのない行為がやはり愛情なのだろう。
それをしてもらったことと同様なことをしていけばいいのだろう。
ただ、「思いやり」というのが難しい。
先日も職場でこんな質問を受けた。
「目の前のお客さんがズボンのチャック全開だったんですが、言うべきなんですか?」と。
返答に困った。
言われる方も恥ずかしいし、言う側もどう思われるか出たとこ勝負になるから言ってよいやら。
今になって思うが・・・「思いやる」ということは言わなくても思うだけでいいのでは?と。
チャックが開いているけど、「ストレートにチャックと言うべきか」それとも「社会の窓と言うべきか」とか。そもそも言うべきか言わざるべきか。その後、責任者に相談するところまで相手を「思いやる」その姿勢・・・。
「思いやり」というのは本当に難しいが、実はこんな議論も実に大切だと感じるのも「思いやり」なのかな?