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仏事の次は神事 [社会]

一昨日は、父の三回忌の自宅での法要、昨日は地元神社で宮司による秋の例祭。母も80年生きて来て、二日続けて仏事神事は初めてとのこと。

少し氣付いた事がある。

お坊さんが「御文章」拝読する際、「御低頭」しなければならない。神主さんが「祝詞奏上」する際、「御低頭」~頭を低くして礼(令)をしなければならない。令和の「令」の漢字の成り立ちを読んだ時、大いなるものにひれ伏すことから成り立っているという。


仏や神という目に見えない存在に強制的にひれ伏すように仕組まれているのだ。小さな子が「なぜ?」と親に聞いても「そういうものだから」としか答えられない。今では「ウィルス」という目に見えないものにひれ伏す構図が2年前から新規に広まった。その前までは「テロ」だった。世の中の常識というものを一つひとつ疑った方がいいかもしれない。


二日続けて仏事神事を体験して感じた事は・・・「地域の搾取の構図」と感じた。序列があり、上のものには刃向かえない。死とか目に見えない得体の知れないものを説くお坊さんや神主は偉い人だ。だから私たちが知らない有難いお言葉にはひれ伏し、物(今ではお金)差し出す。故に「乞食と坊主は3日やったらやめられない」ということわざまである程だ。宗教は無税で「坊主丸儲け」という言葉がある程だ。話が少しそれてしまった。


私は4年後には、この地域から出ていく。それまでは「ひれ伏す」文化の中に居るが、それ以降は自由で誰にもひれ伏したくは無い。心の中では「唯我独尊」誰にもひれ伏してはいない。


一つひとつ常識を疑って生きましょう!

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