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与え続ける自然界 [社会]

私は山の中腹に住んでいる。海抜でいうと30㍍ぐらいのところだ。

300メートル級の背後の山からは毎日湧き水が下りて流れている。枯れることはほとんど無い。昔はそれを飲み水にしていたのだろう。

私がつくため息(CO2)も山や森は吸収して酸素に変えてくれる。CO2を食べる稲は、私たちが生きていける玄米を作ってくれる。昔は肥溜(こえだ)めというのがあり、人間の糞尿であるが、それを畑の肥料にしていた時代があるが(今は牛糞や鶏糞というお金を出して買う肥料にとって代わったが)、大地はそれをも吸収して野菜を生み出してくれる。

自然は何も言わずに人間のために与え続けてくれている。

先日、17歳の誕生日を迎えた離れて暮らす娘に「誕生日おめでとう」メールを送ったが返信は無い。

といっても、返信を期待している訳ではない。私も大学時代、一人暮らしをしていたが、親から手紙が届いても返事を書いたことも無い。

親になって分かる親の恩というが・・・親も大自然もただ与え続ける。ただそれだけなのであろう。

何か物をあげるのが好きな人というのがいる。別に見返りを求めているのでも無く、ただ単に何かをあげるのが好きなのだろう。その人達は大自然側の大らかな人達なのかもしれない。逆にもらう一方の人もいる。その人達はお返しをするでもなく、ただもらうだけ。

世の中にはあげる人(大自然)、もらう人(人間)の二種類が居るような氣がしてきた。

あげる人(親)、もらう人(子供)・・・しかし、あげる人(孫)、もらう人(祖父母)という関係もある。小さい子供たちは素直で屈託の無いのはまだ穢れをしらず大自然から生まれたてだからだろうか!?

私も大自然に何かをあげると(孫→祖父母)の関係のように大自然も喜んでくれるのだろうか?

あげるといっても田畑の為に糞尿しか思いつかないが、その発想では大自然も喜びそうにない。

大自然にメールや手紙は書かなくても、「ありがとう!」という想いはどうだろうか?

今の世の中、想いをカタチにしろ!と怒られそうだが・・・何だか最近「ふと」想ったことを言葉にしてみた。これも70億人分の1人の意見だが、カタチにしてみた。もしかして目に見えない言葉よりも糞尿の方が大地には実利(有機肥料として)があるのだろうか?考えても大自然は言葉で返してくれないので答えは出ない。

こんな時こそ、ブルース・リーの「考えるな!感じろ!」の世界なのかもしれない。

言論の自由があることって素晴らしい時代に生きている!私のしょうもない一意見を見てくれる人がいるなんて!ありがたいなぁ・・・

今日は節分・・・節を分ける・・・本当の意味の正月(年明け)らしい。

古い時代よ!ありがとう!

新しい時代よ!こんな私でもがんばって生きる(ブログ更新する)ので、どうぞよろしくお願いします!


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