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自己紹介するには自己を見つめる [社会]

8月に入り、二つのコミュニティに入った。

一つは「ミナミAアシュタール」さんが主催される約6千人が参加の「じょうもんの麓オンラインサロン」。もう一つは中学校の17名の同級生のグループLINE。

前者は価値観が「ミナミAアシュタール」情報の共有という共通ルールのようなものがあるので、自己紹介も、し易い。方や38年前に卒業した中学校で、当時一つの学年に270名も居て、話したことも無い人も多くいる。共通認識は3年間同じ学び舎で過ごしたというだけ。こっちの方が身近なようで、なかなか自分をさらけ出すのが難しい。「遠くの親戚より近くの他人」ということわざの意味に近いかもしれない。

人間は25歳までは人間形成でコロコロと周囲の環境により変化するらしいが、25歳以降の価値観はよっぽど(東日本大震災級)の事が無い限り、なかなか変わらないらしい。

15歳までの思春期真っ只中の自分と50代の自分では、同じ自分だが全く異なる部分もある。私の場合、大学に行って弾けた方だから、「えっ?こんな人だったっけ?」と思われるかもしれない。

地球は既に5次元領域に存在し、ミナミAアシュタールさんたちが作る「じょうもんの麓」も5次元領域の世界を作るという事で賛同して参加しているが、まだ3次元領域の地球も存在し、コロナや戦争が終わらないのも、そのせいだ。なかなか本当の自分をさらけ出すのが難しい場面もある。出せば出したで、出る杭は打たれて終わる。

やはり二極化が完了というのは、こういった違いがあるんだろうなぁ~と。

今までの古い価値観を大事にするか、新しい価値観で生きるのか?

まだまだ使い分けなければいけない、ごった煮な水と油が入り混じった世界に生きている。

遠くの親戚より近くの他人とは、いざというときに頼りになるのは、遠く離れて暮らす親類ではなくて、近所に住んでいる他人のほうだということ。
【注釈・由来】
血の繋がっている親類であっても、遠く離れて暮らしていれば行き来も少なくなり、情も通わなくなるもので、万が一急を要する出来事があった場合に助けられることはない。
赤の他人であっても、自分の近くにいる人のほうが、かえって力になってくれるということ。

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