しめ縄作りに参加 [教育]
神社の「しめ縄」作りに参加した。
集まったのは60代以降のおじいちゃん(私からは父親)世代ばかりである。集合時間より30分前に行ったが、もう既に数名は掃除したり、木の下刈りをしたりしておられさすが!である。神さまに対する感謝の気持ちや神社(氏神さま)を大切にしよう、きれいにしよう、新年を気持ち新たに迎えよう、地域の人のために何かお役に立とう!そんな気持ち(心)が会話の端々から伝わってきた。
「今日は若いもんがおるが、どうしたことかいのぉ?」
私「次の世代にこの文化を伝えたいのと、自分もしめ縄作ったことがないので体験したかったので・・・」
「そりゃぁええことじゃぁ」
早速手際よく始まりました・・・
まずもち米の稲わらの小さな束を作ります!
もち米はしっかりしているからとのこと
三人が回しながら左に回します。
一つの綱を右回し、左肩上がりで3本を編みます。「よいしょぉ!」
私も一本に参加しましたが、握力がなくなりました・・・
毛をはさみで刈ります。
鳥居の長さに合わせて3メートル30センチ!
「まさに龍ですね!」と私が言うと、「これは昇り龍なんじゃぁ」
やはり龍って縁起のよい神の創造物なんですね。
鳥居につけます!
完成!(一年もちます)
入り口の鳥居に一つ、神社前の鳥居に一つ、神社に一つ合計3つ。
約2時間かかりました。後は焚き火を囲みながらむすびやお神酒をいただきます。この談笑の時間も貴重な時間です。これで爽やかな気持ちで新年を迎えることができます。大人の私でも手の皮がむけそうなほど手が真っ赤になり、汗をかきました。「明日は字が書けんよ!」とも言われました。子供たちへの伝承は厳しいかも・・・(子供たちには小さな縄をなうのは出きるかも)しかし見るのも体験の一つとなるかもしれません。
楽しかった一日でした。
判断の基準 [教育]
いろいろと選択を迫られる場面は無数にある。
私も10年前(早いものですね。10年ひと昔とはよくいったものです。当時10年後このような世の中になるとは思ってもいませんでした。)に参加したあるセミナーで、「やるかやらないか、迷った時はやる!」という判断基準をいただいた。確かに何かをやりたくないときは迷っていないものだ。何かをやりたいという気持ちがあるから迷うのだろう。だから心に正直に行動すればよいということだろう。これを都合の良いように置き換え、買うか買わないか迷った時は買う!といろいろな物まで買ってきたような氣がする・・・後悔はしていないが、そんな経験が人生を作っていくのだろう・・・
判断の基準は美しいか醜いか
損か得かを基準におけば、とかく欲に眩(くら)んで判断が狂うもの。これからはこう考えてみよう。それをやるのが美しいか、醜いか、と。きっと晴れやかな世界が生まれるはず。
またまた例の日めくりカレンダーからの抜粋です。
前職でお客様から「これは損ですか?得ですか?」と聞かれる場面がよくあった。「損得で言うと損です!(なぜならこの業界の商品は買った瞬間に目減りしますから)しかし、必要か必要でないかで考えてみてください」と答えていた。
「美しいか、醜(みにく)いか」
美しい国へ! 醜い国へ!
どちらがいいだろうか・・・こう考えると議論の余地がなくなる。
まだ読んでいません・・・
金持ちおじさん貧乏おじさん [教育]
ブログ記事アイデアはあるのですが、頭がおかしいと思われる領域に突入しているため(元々おかしいのですが)、ネタ切れで、あるカレンダーから・・・
ある時もない時もいつもニコニコ
貧乏おじさんと金持ちおじさんの差はまさにその点らしい。お金にふりまわされ、いつもガツガツしている人に比べ、ほんとのお金持ちはいつでも心が感謝にあふれている。
私たちは金持ちおじさんになる教育は受けて来ませんでした。いい大学に入ればいい会社に入れる。いい会社に入れば幸せな人生が送れる。本当にそうでしょうか?もしかしてサラリーマンにさせるための教育だったのではないでしょうか?ある種の英才教育は自分自身の手で発見創造し、実践していかなければ、何かにだまされてしまします。
父の誕生日 [教育]
本日は私の父の誕生日である。
太平洋戦争(大東亜戦争)の始まった3日後に生まれたので、祖父は日本民族とアジアの平和に祈りを込めて父の名前をつけたと推察できる名である。
しかも5男として生まれたにもかかわらず、4男まで病死、また4人の姉のうち3人まで病死。(死産含む)菅原道真公の時代より代々続く家も絶えるのではという危機があったと思われる。また、その5男であるが跡取りとしての父も10代の頃、ヤマモモの木から落ち、腹を割き約20針も縫う急死に一生を得ているのである。もしその父がいなければ我々兄弟も生まれていないし、父から見て合計6人の孫も存在しないことになる。
数年前に公務員を定年退職し、今は市の農業委員、行政相談員、保護司などのボランティアに大忙しのようである。中でも保護司というのが大変らしい。保護司というのは法務大臣の委嘱を受け犯罪や非行に陥った人の更生を支援するというものだが、保護観察処分を受けた未成年や20代の青年の保護観察や支援を行う。幸いにして我々兄弟は非行にはしることもなかったので、そういった子を持つ親の気持ちなども今回いろいろと経験しているようだ。またそういう子の気持ちをくみ取るのが大変なのではないだろうか?私としては「ALWAYS三丁目の夕日」を薦めたいのだが、今の子供達には理解できるだろうか?
他にも自治会のお世話やお寺の総代、菅原道真公を祀る地元神社の総代など。これに加え私たちが考えた農業体験塾の講師(春の田植え、秋の稲刈り)も務めてもらっている。
公務員という職で生きてきた事と本人の性格上、地域また国家の公僕となって生きることを喜びとしているようであるし、私も誇りに思う。見習わなければと思ってブログを始めた(笑)。
健康であれば言うことないのだが、先述した数十年前の20針を縫う手術の際の輸血でC型肝炎に感染したらしく、キャリアとしていつ発症(その兆候はあるが)するか分からない。
その父に心から感謝したい。
こんな我がまま者を育て応援してくれて本当にありがとう!
右端の麦ワラ帽をかぶっているのが私の父です。(第4回農業体験塾にて)
挨拶の素敵なおじさん [教育]
いつもコメント寄せて下さるオオタさんの勤務先におられる80歳近い社員Mさん。なかなか社長が辞めさせてくれないそうです。80歳でなお社員として現役(役員で現役というのはよく聞きますが)というのも素晴らしいですね。まさに生涯現役!以下はオオタさんのコメントを抜粋させていただきます。
なにがすごいかというと、挨拶。約100名いる社員のなかでその方の挨拶は磨きがかかりすぎています。その方の挨拶はこの人生においてわたしがまず5人とであわない挨拶です。おはようといわれただけでものすごく幸福な気分になります。なにが違うのかを研究するため、毎朝その方を見つけると、かけよってこちらから挨拶しますが最近ようやくその極意がわかりかけました。
1、まず相手の目をやさしく見てにこっとわらう。
2、そして おはよう!とそのままの笑顔でいう。
3、にこっと笑っておはようというまでに少し間をもたせる。
この1、2、3、を実行するとパーフェクトな挨拶が可能であるとわかりました。
相手の目を見る、笑顔で、間をもたせる・・・シャイな私は相手の目を見るというのが一番課題です。笑顔というのは顔の筋肉を100個ぐらい使うのだそうです。朝から顔の筋肉がやわらかいのも当然のように早起きなんでしょうね。
世の中には鏡となるような人物が身近にいるのだと思います。別に有名人という訳ではなく本当に普通の人の中に。オオタさんのように何かの見本となる人をみつけましょう!
全ての人に応援を! [教育]
地元の市の小学生4年、5年、6年を対象にした駅伝大会があった。野球・サッカー・バスケ他さまざまなスポーツ少年団約70チームが一区間2キロを5人がつなぐものだった。うちの子供が所属する野球チームも3チーム参加。小3のうちの息子も強脚を買われ4年生として走ることに。沿道には親や関係者が声援を送る。
ここで先日小学校の学年別ロードレース大会で遭遇した60代ぐらいのご婦人(おそらく子供のおばあちゃん)といつもコメント寄せて下さるオオタさんのお話に影響を受け普通の人とは異なる応援をした。(昔はこれが一般的だったのだろうが)
■まず先日遭遇したご婦人は、自分の孫を応援するのかと思いきや、走る人全員に拍手しながら一人ひとり違うコメントで応援していたのだった。例えば、足の早い子には「おっぉ!速い速い!」とか遅い子には「あと少しもうちょっとじゃけぇがんばれ!」とかである。これには感動した。
■またいつもコメント寄せてくださるオオタさんは、駅ですれ違う人や行きかう人全て(職場は仕事で頭が一杯でそれどころではないそうだが)に「ありがとう」という念を入れている(心で念じている)とのこと。これにも感動した。身近な(知っている)人には出来るだろうが、見ず知らずの他人にまでそうしているというのだから凄い!
この二つの感動を元に・・・今日はいつも(他の人とも)とは違う応援をした。70チーム出ていて5人が襷(タスキ:これはさすがに書けない)をつなぐので350人。少し遅れて行ったので約300人ぐらいか?全員を応援しようと。寒かったせいもあるが、手を叩く事で身体があったまる効果もあった。それにしても他の人を見て思ったが(いつもの自分はそうだと思う)、やはり自分のチームや子供(孫)にしか関心がない。まぁ当たり前田のクラッカーだけど。 いろいろ声援も考えた「速い速い」と言えば喜ぶし(表情はしんどそうだが急にスピードアップするような子もいた)、「あとちょっとがんばれ」と言うと残りの距離を確かめたり、うちの子なんかは目の前で4人ぐらい抜いたが、私の目の届かないぐらいのところでは結局抜かれていた。やはり子供も大人も人に見られているというのが一番の励みになるのだろう!
このブログもそうです。毎日約100~200人の人に見ていただいていますが、それが私にとって走っていくことができる励みになっているのですから、子供も同じでしょうね。 今の時代は自分のごく身近なことにしか関心がないのだろう。目先に囚われすぎである。大局(対極も大事)を見ることを学ばせていただいた。 またペイフォワードではないけど、見ず知らずの人に親切にしてあげる大切さも・・・
ありがとう!おばさん!そしてオオタさん!
ハイ! [教育]
挨拶というのは大切である。先日もいつもコメントを寄せていただくオオタさんからヒントをいただいた。これはまたいつかご紹介したい(というかコメント見ていただければ分かる)
先日もある高校で講話を頼まれ、校長先生が「それでは、はるかぜさん(本名ではありませんよ)よろしくお願いします!」と紹介され、私は待っていましたとばかりに脳天から突き抜けるような返事というよりもハイトーンボーカル顔負けの「ハイッ!!!」。(掴みというかネタである)160名の生徒がいる会場はザワザワとどよめいた。今まで聞いたことない返事に、何か変な人が来たぞ!という感じだったのだろう。
実はある経営者の会で5年間、返事や司会、スピーチ術などで鍛えていただいた。そこでいただいたコラムでこのような記述があったのでご紹介したい。
「拝」と「ハイ」
「拝」という字は、様々な意味を持っています。「広辞苑」によると①おじぎをすること②神仏をおがむこと③つつしみ受けること などの意味があります。「拝」の字の成り立ちは、両手を並べる形から来ています。
私たちは日常の中で何気なくこの「拝」を実行しています。挨拶で頭を下げる行為や、人から呼ばれた際に「ハイ」と返事する言葉もここから出ています。
さらに「拝」には、「二つのものが一つになる」という深い意味もあります。挨拶は、頭を下げることによって、相手と対立せずに心を通わせる動作の一つであり、「ハイ」という返事も相手の呼びかけを受け入れる言葉です。
「ハイ」の一言は、相手の心と自分の心が一つにつながりますように、との願いを込めた表れなのです。
「拝」と「ハイ」の意味をもう一度見つめ直し、相手も自分も明るくさわやかに仕事ができる職場づくりをしていきたいものです。
「ハイ」という返事は無茶苦茶前向きな言葉のようであるし、馬鹿になって本気でやってみるのも大事である。
みなさん 分かっていただけましたか?
「ハイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
※くれぐれも「ハーイ!」ではなく「ハイッ!」だそうです。
もったいないばあさんリターンズ [教育]
子どもが私が興味を示した『もったいないばあさんがくるよ』という絵本を学校から借りて帰ってきた。『もったいないばあさん』は大人気のため貸し出し中だったらしい。
関連記事<もったいないばあさん>
しかしこの続編らしい『もったいないばあさんがくるよ』も素晴らしい。私が驚いたのは・・・歯磨き粉も自分で作れるなどの紹介である。元々歯磨き粉には悪い成分があると聞いていたので、なるほどと思った。もったいないばあさんのおべんとうは玄米のおにぎりだったり、にんじんの皮と大根の皮のきんぴらだったり。
また、もったいないばあさんの隣には、あたらしもの好きで買換えの度に山ほどゴミをすてる『がちゃばあ』といるのも勧善懲悪ものでいい。
江戸時代の紹介もあり・・・壊れたものは皆直して使う、ゴミも出ない(ゴミも燃料に)、灰やうんちなども肥料になるし、落ちた髪の毛やロウソクのしずくまで集めて使うなど、もったいないばあさんの出番はまるでなしと嘆くのも面白い。
江戸の朝は、おてんとさまが昇る前に目をさまして身支度。井戸端でおしゃべり、寺子屋、夜はちょうちんのロウソク代ももったいないから大人だって出歩かない・・・朝はやいと夜も眠くなるからさっさと寝て、あんどんの油代三文ぐらいの徳になる。これ即ち早起きは三文の徳の心なり・・・そうだったのか!と勉強になりました。
※三文は一晩のあんどんのあぶら代ぐらいのわずかなお金じゃが、夜更かしせずに毎日貯めればたくさん貯まる。早起きも続ければ大きな価値になるぞ!ということじゃよ(もったいないばあさんより)
文部科学大臣からのお願い [教育]
文部科学大臣からのお願い という文章を子供が学校からもらって帰りました。ここでも言葉(言霊)の重要性が言われています。しかし、こんな文章が出回る世の中が本当に良い世の中なのでしょうか?
文部科学大臣からのお願い
お父さん、お母さん、ご家族の皆さん、学校や塾の先生、スポーツ指導者、地域のみなさんへ
このところ「いじめ」による自殺が続き、まことに痛ましい限りです。いじめられている子どもにもプライドがあり、いじめの事実をなかなか保護者等に訴えられないとも言われます。
一つしかない生命。その誕生を慶び、胸に抱きとった生命。無限の可能性を持つ子どもたちを大切に育てたいものです。子どもの示す小さな変化をみつけるためにも、毎日少しでも言葉をかけ、子どもとの対話をして下さい。
子どもの心の中に自殺の連鎖を生じさせぬよう、連絡しあい、子どもの生命を護る責任をお互いに再確認したいものです。
平成18年11月17日
文部科学大臣 伊吹 文明
子どもたちには以下のようなお願いがありました。子どもたちは先生と一緒に朗読したそうです。
文部科学大臣からのお願い
未来ある君たちへ
弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。
仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。
君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっているいじめをすぐにやめよう。
いじめられて苦しんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。
平成18年11月17日
文部科学大臣 伊吹 文明
これを受けて小1の娘が自分の手帖に何やら書いていた。載せてもいいよというので(以前お兄ちゃんの手帖の記事を見て自分も載せて欲しいとのこと)了解を得て掲載します。
①たのしくあそべること。
ともだちに「いっしょにあそぼ」っていうといい。
②けんかをしないこと。
みんながじゃんけんで、まけてもわがままをいわない。
③しんせつにする。
じぶんには、おかしがあっても目のまえに人がいるときは、その人にあげる。
④てつだいをする。
ゴミやしょっきをするとき、ゴミはみえないゴミもとる。しょっきはさげたり、あらったりすること。
じぶんでかんがえたんだよ。
なんだか子どもながらに真剣に文部科学大臣の言葉を受け止めているようで、親の私が反省させられました。子どもというのは素直だから、環境を大人が整備していけばきっといい世の中になるような氣がします。
いじめはどんな時代もあると思います。それに打ち勝つ(乗り越える)環境を大人が作る(言霊の力や自分の魅力を発見する、何かに挑戦する楽しさ、感謝する気持ち)事と負けない自分・・・欧米では障害者の人のことを「チャレンジパーソン」(挑戦している人)と呼ぶようです。生まれ変わりの世界(輪廻転生)で今回の人生は、身体が不自由というこの世で一番難しい宿題に挑戦してみようと自らが選択して生まれてきたのだから・・・
そんな人と比べたら自分の生き方なんかまだまだだ!とより挑戦する意欲が私なんか湧いてきますが、そのような考えを受け入れるのはいかがでしょうか?
昭和30年代を舞台にした「ALWAYS 三丁目の夕日」が明日の金曜ロードショーで上映されるそうです。(山口だけ?)ビデオに撮ってでも観てみてほしいです。あの時代にもいじめられている子どもや大人も登場しますが、それぞれの才能を発揮して必死に生きている姿に感動しますよ!あの時代はテレビも一家に一台もなく(今は一部屋に1台ではないでしょうか?)、物はなく皆貧しいけど、心はみんな豊かです。温故知新、古き良き時代に学びましょう!
甲子園の思い出 [教育]
私が高校3年の時、私たちの学校が創立約100年にして夏の甲子園初出場しました。ツイてる!しかも、山口県大会では、地元の球場で決勝まであったため、私たちもクラブを休んで応援!応援団や吹奏楽部、チアリーダーなどを含め皆青春を燃やした応援でした。逆転につぐ逆転で奇跡のような試合ばかり。ある試合(準決勝だったか決勝?)では9回で5点差をひっくり返して勝利!まさに選手と応援で一緒に勝ち取った優勝でした。
地元(徳山市)も大盛り上がり。市から甲子園に出たのは数十年ぶりで(カープの炎のストッパー津田恒実がいた南陽工業が出場していましたが、当時は別の市だったので)市をあげて大応援団が出来ました。
1回戦は8時半からの第1試合だったためバス10数台で前の日から出発して応援に。一塁側アルプススタンドは山口の田舎勢にもかかわらず超満員。うちの兄も当時大阪の大学からかけつかけたほど。
日大山形との対戦。0対0での投手戦の中7回裏に同じクラスの友達がソロホームランを打ち1対0で9回の表(相手の攻撃)を迎えました。これを抑えれば初出場初勝利が目の前に。最後はあと1球で勝利という時にピッチャーゴロに打ち取った・・・
1塁側で応援していた私たちは「やったぁ!」と大歓声!
・・・しかし、ピッチャーがのファーストへの高めの暴投・・・
それがきっかけとなり2対1の逆転負け・・・やはり甲子園には魔物がいたぁ!と熱闘甲子園の熱いアナウンサーは叫んだことでしょう。この劇的な負け方(笑)に感動し、作詞家の阿久悠氏が詩を書いたというらしいから・・・ツイてる!
地元の有力者も多く、OBから1億円ぐらい寄付が集まったそうで、しかも1回戦負けのため、大部分が残ったそうです。しかもバブルの始まりの頃で金利も高く金利だけで数百万円、金利だけで毎年各クラブの整備費用が捻出できたそうです。ツイてるでしょう?
※子供と【タッチ】観ました!
※【逆境ナイン】も子供と観ました!逆境の人は是非(俺かよ!)もう一度観ます!
見猿、言わ猿、聞か猿 [教育]
小学校の修学旅行は九州だった。大分県の高崎山(猿で有名)で買った『見ザル、言わザル、聞かザル』の貯金箱は今でも実家に置いてある(はず)。
最近ほとんどテレビを見なくなった。あまりにも番組に自分が支配されることが多いから(テレビの製作に関わっておられる方スミマセン)・・・殺人事件や凶悪犯罪、詐欺、窃盗、性犯罪や横領、親殺し、子殺し・・・暗い自分が益々暗くなってしまうからである。だから敢えて見ない(見猿)
いつだったか(ラジオは良く聞く)ラジオのニュースで、暗いニュースがなかったせいか地域のお祭りや良いことをした地元の人のニュースでなんだか心がホンワカ温かくなったことがある。こんなニュースばかり流せばいいのになぁと思ったが、そんなニュースは一般大衆の関心事ではない為、普通はニュースにもならないのだろう・・・
それとご他聞に漏れず、うちの家にもTVゲーム(プレステ1、2、ファミコン、ニンテンドーDS)がある。ゲームに関しては・・・中学校の頃ある種のゲームおたく兄弟だった。パソコン(当時はマイコンと呼んでいた)でゲームのプログラムを兄と入力したり、作ったり。その経験からSE(システムエンジニア)になろうと思ったほどである。だから何かに打ち込むのは良いことであると思う。しかもアドベンチャーゲーム(冒険して謎を解いていくもの)が好きで、今でも人生の冒険をしている(それがいいのかどうかは現時点では判断出来ず)。
しかし、子供達に言って決めていることがある。『人を殺したりするものはダメ』子供には言っていないが潜在意識に組み込まれるからと勝手に思っている。
言霊(ことだま)の法則(良い言葉を言えば良い現象が起こり、悪い言葉を使えば悪い現象が起こる)からすると、悪い言葉などを言わない方がいい(言わ猿)悪い事件のことなども口にしない方がいいのかも?聞かされた方も影響され、暗い気持ちになってしまう可能性あり。
君子危うきに近づかず・・・で賢い人は悪い事柄、事件、ニュースには自ら聞かない(聞か猿)を演じるのも必要なのかもしれない。
波動の世界を逆手にとって利用されないように・・・氣をつける必要がある。
私たちは猿から進化したとは思っていない(個人の意見)。ある人が言っていたが、もしそうであれば・・・進化の途中の猿がいてもおかしくない、ガラパゴス諸島の生き物の存在が進化論を否定している、と。その意見に賛同している。が、この映画は面白かった。
ナイトサイエンス [教育]
ナイトサイエンス、これは筑波大学名誉教授の村上和雄氏の著書や講演で聞いた言葉です。
歴史は夜作られる。
昼の研究もさることながら、夜の研究(勉強会や飲み屋さんでの人との偶然の出会い)も大事だとおっしゃる。
研究も行き詰まり、万事休すかという時にドイツのバーでたまたま出会った日本人との出会いによりノーベル賞的な発見がもたらされたそうです。
「客観性、理性、知性」の「昼の科学」が、社會に不可欠のものであることは言うまでもない。しかし、人がそれのみで”生きる”には、かなり無理があるのではなかろうか。/無理くらいですめばいいが、とくに現代社会では、「昼の科学」の偏重が、人に、”生きる”ことのバランスを崩させ、さまざまな深刻な事態を引き起こしているようにさえ思われる。今こそ「感性、情緒、直観、霊感」の「夜の科学」を、人は意識的にとり戻す必要があるのではなかろうか。/本書は、そのような思いをこめて「夜の神々」と名づけた」
と、著者自ら記してもいる。
「あるいは、人は夜の闇の中でこそ、神々に、より近づくことができるのかもしれない」
- 作者: 松浦 光修
- 出版社/メーカー: 慧文社
- 発売日: 2005/10
- メディア: 単行本
しゃくし定規のような人生よりも【吉田松陰】のような波乱万丈な人生も面白い。まさに夜の人生が社会に役立っているのかもしれない。
もったいないばあさん [教育]
小1の娘が「もったいないばあさん」という話をしてくれた。想像した話か何かを読んだのかは定かではない。
■朝、歯を磨くのに水道の水を出しっぱなしにしていたら現れる【もったいないばあさん】・・・コップに水を入れ『もったいない、これで十分でしょう?』といって水を止める。
■ご飯を食べて米粒が残っていたら現れる【もったいないばあさん】・・・米粒をつまみ子供に『もったいない、残っているよ』と言って食べさせる、顔についている米粒もとってあげる。
■みかんの皮を捨てようとしたら現れる【もったいないばあさん】・・・干してお風呂に入れたら身体がポカポカ温まる。
■泣いていたら現れる【もったいないばあさん】・・・涙を流すのもったいない!
■泣いた涙をティッシュで拭いていたら・・・【もったいないばあさん】がティッシュで拭くのもったいない、おばあさんが拭いてあげよう!
■夜寝るときに電気をつけて寝ようとすると現れる【もったいないばあさん】・・・電気を消して『もったいない、電気なくても寝れるでしょう?』と言って帰っていく。
■もったいないばあさんは家に帰ってお茶を飲みながら『あぁもったいない』『もったいない』・・・(おしまい)
※先日ある会の懇親会で夜寝る時にオレンジの光の小さい電気をつけて寝るかという話でほとんど付けて寝るとのことだった。確かに夜起きてトイレに行くときなんかは便利である。しかし、夜の暗闇の中で眠りにつくことで夜に対する意識(自然に対する恐れ、畏敬の念、何かを考える、直感、霊感、第6感)などが生まれると思う。と言いながらうちも子供が怖いというのでオレンジの光をつけている・・・
海外でも・・・Mottainaiは標準らしい・・・グローバルスタンダード改め世界に誇れるジャパニーズスタンダード!である。
サンタのように、【もったいないばあさん】は大忙しであろうなぁ・・・しかもこちらはクリスマスのように季節関係ないから・・・
※実はうちの子が言っていたのは学校で読んだ本らしい・・・(末は絵本作家かと思っていたが・・・)
Mottainai Grandma―もったいないばあさん対訳版
- 作者: 山口 マリアンヌ, 真珠 まりこ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/11
- メディア: 大型本
あなどれない小学生 [教育]
先日、子供が所属する少年野球チームの親子親睦試合がありました。
最初は親子混成チームで和気あいあいやっていたのですが、その後、5年生4年生を中心とした県知事杯地区優勝チーム対親チームの対戦となりました。空気が一変し、お互い真剣な雰囲気となりました。
5年生のエースが投げるのですが、なかなか速くて打てそうにもありません。
私も二回ほど打席に立ったのですが、一回目は三塁線へのファールを2回ほど打った後、外角低めの球に・・・な・な・なんと三振!
恥ずかしいというよりは・・・「これで彼も立派な大人相手に三振を奪った自信となっただろう」・・・つづく野球経験者のお父さんも連続三振!野球経験のない私だけではなかったのだ!(内心ほっとした)
二打席目は三振しないように一球目から打っていったが、平凡なセカンド(うちの息子)フライ。これでうちの息子も「お父さん相手に打ち取った」とさぞかし自信になったであろう・・・単なる負け惜しみじゃあないか!・・・ともとれる。私は常にいいように考えるのである。
このメンバーで23日(祝)に地区代表同士の県内の一位を目指す試合がある。これならきっと勝てる!そう思ったニ打席凡退(1三振)の親父であった。
あのイチローの小学生時代の作文もすごかった!小学生だからといって決してあなどれない存在である。将来のイチロー、将来の松坂たちもがんばって欲しいものである。
イチローも数年前シアトル市内の小学校で子供達に講義したそうだが、目標を持つことの大切さを語ったそうである。「目標を持てば両親や自分を大事にしたり、礼儀正しくすることも全てできる可能性がある!」・・・そうです。成功者は語る。
イチローのお父さんが書いた本です。今年の夏休みにうちの息子がこの本の読書感想文を書いていました。イチローもすごいがイチローパパもすごい!
落語の小話 [教育]
落語家の笑福亭松喬(しょうふくてい しょきょう)師匠の落語講座というのを話術向上の一環として受けたことがあります。受講前までに宿題が出ており、以下の小話のどれか好きなのを一つ暗記しておくというものでした。当日は指名をされた人が前に出て小話を披露するというので真剣に覚えました。私は③が気に入ったので覚えました。やはり、最後のオチに入る前の間や表情、声の出し方などが非常に大切なことが分かりました。また一人二役をやるので会話をするように顔の動かし方なども。面白いので皆さんもやってみてはいかがですか?
生の落語を聴いたのも初めての体験で面白かったです。プロの噺家はやはりすごいなと感じます。これも本物体験のひとつです。やはり日本の伝統芸能は素晴らしい!(百円ショップにも落語が入ったCDがあるので手軽に楽しめます。120円のジュースより105円の落語を!)
① 「猿」
有る男が動物園に行くと、猿を売っている。
「大将、台湾猿が五匹居てますねん、買うて下さい。」
仕方がないので台湾猿を五匹買い、家で良く見ると台湾猿が四匹で、中に一匹だけ日本猿が混じってる、だまされたと思い元の場所に戻ってくるなり
「おっさん台湾猿五匹言うてたが、一匹だけ日本猿が混じってるがどう言う訳や」
「すんまへん大将、そいつ通訳です」
② 「糖尿病」
有る男が病院に行って
「先生私肥えて来ましたので糖尿病かどうか調べてください」
すると先生が
「明日おしっこをもってきなさい」
あくる日
「先生おしっこ持ってきました」
「そないぎょうさん要らんねん、一升瓶に一杯入ってるがな。仕方がない調べましょう」
調べた結果が異常なし。
これを聞いた患者が喜んで家に電話するなり
「おい喜べ、ワシもお前もお祖父ちゃんもお婆ちゃんも皆異常なしや」
③ 「健康」
有る男が病院に行って
「先生この頃体がだるくて仕方がない。注射や薬を飲まなくて元気になる方法はありませんか」
「それなら私の言う事を一ヶ月守りなさい。まず一つが食事は一日三度腹八分目を食べましょう。二つ目はお酒は日に一合、三つ目はタバコ日に五本と決めましょう」
一ヶ月が経って
「先生お蔭で元気になりました」
「良かったねえ、辛かったか」
「辛ろうございました」
「やっぱり一日一合の酒か」
「それも辛う御座いましたが、一番しんどかったのがタバコ日に五本」
「そないしんどかったかぁ」
「ハイ、なんせ普段吸わないもんで」
④ 「絵」
有る奥様が、美術館で
「この絵はシャガールですねぇ」
「いいえ奥様それはミレーです」
「するとこれがシャガールですね」
「いいえそれはゴッホでございます」
「これは判るわ、目鼻口がバラバラ、これはピカソね」
「いいえ奥様それは鏡でございます」
♪テケテンテンテン♪
NHK DVD「日本の話芸」特撰集 -ことば一筋、話芸の名手たちの競演会- 落語編一
- 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント
- 発売日: 2006/11/24
- メディア: DVD
和と出合う [教育]
読売新聞の一面に連載で「和と出合う~洋と融合 新境地へ」という記事がある。
ロック歌手の宇崎竜童氏(60※還暦なのかよ!若い)は、米軍住宅地区でラジオの英語放送を聞いて育った。「プレスリーやベンチャーズにあこがれ、歌詞も英語で書いた」時期があったが、人形浄瑠璃文楽と共演した「ロック曽根崎心中」が転機となった。哀切な心中話に曲をつけると「やまとのにおいのする」メロディが自然と生まれた。和太鼓などを取り入れた音楽活動を続ける宇崎さんは言う。「戦後生まれは米国文化にかぶれ、土の上のアスファルトを歩いてきた。けれど、アスファルトをはがした土の中には電気を使わない生の音があった。木、竹、皮・・・。自然から生まれた音ほど強いものはない」伝統という豊かな財産が我々の足元を支えている。(11月15日読売新聞朝刊1面)
私も中学から英語を習うのをきっかけとなり、アメリカのMTV(音楽番組)や洋楽そこから一気にヘビーメタルの世界へ突入した。英語の歌詞も分からず歌はひとつの楽器の一部としてしか耳に入らなかった。
あれから20年以上。振り子の原理というのがあるらしいが、左に振れると同じ分だけ右に振れる。最終的には中庸が大事となるのでしょう。
今は和に非常に興味がある。我々世代も変化している。同じ音楽仲間はハードロックの上に日本語の歌詞で魂を揺さぶるバンド活動を開始しているし(曲と曲の間のMC:おしゃべりも楽しませている。関西人らしく漫才とメタルを融合させている)http://www.axbites.com/ また別の友だちは太鼓や三味線などを使ったバンド「和来(にぎらい)」http://www.nigirai.com/をスタートさせている。やはり日本人としてのDNA(遺伝子)が目覚める時が来るのでしょう。先日も地元のお祭りで見た和太鼓の響きに何百年(何千年)と続く歴史が呼び覚まされる感覚があった。また若い人たちが叩いているのにも感動した!
ちびまる子ちゃんのことわざ教室 [教育]
読み書き計算朝ごはん [教育]
読み書きソロバン・・・これは昔から日本での基本とされていた。
江戸時代の識字率は当時のイギリスの何倍も上回っていたそうです。本屋で立ち読みする庶民を見て来日した外人は驚いたそう・・・
NHKのクローズアップ現代を見て驚愕した。(おそらく驚愕という意味も分からなくなってくるのだろう)ブログを辞めようと思ったぐらいです。大学生が小学生レベルの漢字を書けないという。その原因は携帯メール/パソコン。その前に何故そんな子が大学生になれるのか???いろいろ考えてみた。マークシート方式、私立は3科目、行きたい人(希望者)と大学側の受け入れ人数(定員)が同じ・・・そんな話ではなかった・・・携帯メールで勝手に変換、ブログなどで手で文字を書くこともなく文章を残せる・・・個人的に思うがテレビでほとんど全ての音声にテロップが出るのも原因では?と。考えずに映像で処理して脳を働かせていない。段々馬鹿になっていく日本人。
うちの子供の小学校(山陽小野田市全般)では全国的にも珍しく陰山先生(百マス計算)の方式を導入しています。毎朝読書、百マス計算、宿題は音読(親のチェック項目は姿勢、間違えず、点やマルで休む、大きな声で)や漢字の手書きなど・・・
陰山先生が校長時代調査したそうですが、朝ご飯を食べる子の方が(しかも米)成績がいいということもあり、その結果を見てお母さん方はしっかり自分の子供に朝ごはん(お米)を食べさせるようになったそうです。※当たり前といえば当たり前なのですが、現代は当たり前ではない時代・・・我が子のこととなれば本気になるので、こういう事実を全国的に公表すべきですね。お米の良さ(本当は玄米)が分かっていただける筈。
TVの話に戻りますが、ある工場ではチェック項目である張り紙の漢字の意味が分からず(漢字自体は読めたが:「差異」という漢字だった)ある一人の社員が原因で多大な損失が出たそうです。工場長は全員に漢字検定の導入や昼休みの漢字の指導を始めたそうです。
最近手紙を出す際は便箋(縦書き)に筆で書くように(極力)しています。脳のためには手書きが良いそうです。ペン(筆)を持つ力加減、紙のどの位置に書くかなどから全て脳全体を使っているそうですよ!
改めて書きます「読み書き(国語)計算(算数)朝ごはん(食)!」・・・これさえ分かれば生きていける!
たぶん ヒットが打てる方法 [教育]
小3の少年野球でセカンドを守る息子が自分のメモ帳にメモを残していた。
たぶん ヒットが打てる方法
一つ、バットにきもちをこめる
二つ、すくいあげないで横からまっすぐ、それかたたきつける
三つ、ボールをよく見てふる
たぶんというのがいい。実践でやってみていないので今の時点では予想なのだろうか。驚いたのは一番目がバットに気持ちを込めるということだ。しかも、黄色のマーカーで色まで塗ってあるのである。いつも試合に出る前に「神棚にお願いしていくとヒットが打てるよ!」とか「打席に入る前にいつもありがとうとバットに話し掛けるといいよ!」とか私が言っているからだろうか?野球をやった経験がないため精神面しか教えてやることができません。
あの12年連続納税ランキングトップ10入りされておられる(納税累計額は173億円だそうです。税金を納めるのが使命だとか)斎藤一人さんも「変な人が書いたツイてる話Ⅱ」でおっしゃっておられます。
「ものにも魂が宿る(生きている)ので『いつもありがとう!』と声を掛けると、かみそりでも良く切れます。薬でも『ツイてるツイてる』と言いながら飲むとよく効きます」「ほとんどの人が信じませんけどね・・・笑」この話を聞いた私の友人(心の友)が草野球でバットに「いつもありがとうね。今日も頼むよ!」と実際声に出して言って打席に入ると見事ホームランが打てたという!自分でもびっくりしたと言っていた。私も髭剃りに「いつもありがとう」と声を掛けるといつもは音がウィーンなのにその時は「ウィーーーーン」とトーンが違うんです。
バットに気持ちを込める・・・気持ちが先。テクニックは二の次。子供から教わったメモでした。
トイレ掃除(食事前の人は見ないで下さい!) [教育]
今年の夏、親子で「まほろば合宿」なるものに参加させていただいた。※まほろば:大和は国のまほろば・・・美しい国の代名詞のようである。神話の世界であるがヤマトタケルの命が死ぬ瞬間に思い描いた理想の国柄だとか・・・
合宿全体が体験学習のようなものでした。
その中で印象に残っているのがトイレ掃除です。子供の絵日記にも楽しい思い出として登場していました。この合宿の中でもよっぽどの体験だったのでしょう。ここでご紹介させていただきます。
日本を美しくする会 三原掃除に学ぶ会のご指導の下 素手素足によるトイレ掃除の実践を行いました。宿泊会場のトイレを2時間かけて掃除するのですが、当初講師もここは「きれいですね」とのことでした。学校とか公園とかものすごく汚いところもあるそうです。開設約20年の施設でしたがきれいに管理されている様子でした。しかし・・・男子トイレの尿コシ(小便器の下のフタ)を裏返してみると20年ぶりに見るような光景でした。世の中表と裏があります。裏の世界は写真の通りです。
右が使用前、左が使用後(掃除途中)
ものすごく臭い匂いと尿が石となってチョットやそっとではとれない(こびりついた)のです。逃げ出す子供もいました。親が率先して黙々と色々な器具を使って落としていたところ・・・「僕もやりたい!僕にやらせて!」と4人の子どもが志願してきました。
黙々と尿の固まりを落とす姿に講師の先生も「君名前は?」「はるかぜです。」「はるかぜ君かぁ先生は感動した。君みたいな子が大人になったら立派な人間になるよ!」「我々もこうしてトイレ掃除指導していますが私たちもこの子たちを見て学ぶんです!」と我々親におっしゃっておられました。
一緒に別の尿コシを掃除しながら嬉しかったものです。「いつ死んでもいいや!」と内心思ったくらいです。
後片付けも大事な作業のひとつと教わる。
娘の方はこのトイレ掃除がこの合宿で一番心に残る体験だったようで、絵日記に書いていました。素手素足でトイレに入るのもいやだったのが、みんなと一緒にチャレンジして先生にほめられたことが嬉しかったようで、一生懸命先生のおっしゃる通り片付けをしていました。ほめることも大事だということを先生から学びました。
折笠先生、高山先生、宮川先生ありがとうございました!(みなさん会社の経営者でいらっしゃいます。ボランティアで来ていただきました!)
関連記事<捨てる人 拾う人 何もしない人>
これからの人生をどのように設計していけばよいのか [教育]
上記のテーマで、本日13時よりある高校での講演のレジュメをあらかじめ公開いたします。今年で5回目を数え、今回で延べ人数は800名となります。まさにツイてる!ワクワクしています。
◆ 「ツイてる」と言うと「ツイてる」ことが起こる
・ 新聞記事「ツイてますか?」
・ 言霊の実験(オーリングテスト)
・ ツイてる言葉、ツイてない言葉
・ 「言っているとその通りになる」
心配なことや、悲しいことばかり言っている人の環境は、その通りになる。憂えたことが当たってくる。朗らかな言葉をつかう人には、明るい境遇が開ける。言葉の通りに、自分も周囲も変わっていく。言葉は生きている。
・ 出せば入る!
◆ 何のためのライフプランか
・ これからの時代はどんな時代?
・ ライフプランがある場合/ない場合
・ ライフプランの例
・ 答えは自分の中にある
◎いきいき、ワクワク、楽しい
×ゾクゾク、苦しい
・ 出会いが人生を変える
◆ 読書のすすめ
・ 「ツイてる!」 斎藤一人 著
・ 「学校で教えないお金の話」 日下公人 著
・ 「あなたは絶対!運がいい」 浅見帆帆子 著
・ 「生きがいの創造」 飯田史彦 著
◎みなさんにすべての良いことが温泉の如く湧いてきます!
<補足資料>
【ツイてる言葉】 【ツイてない言葉】
- 充実している ⇔ 忙しい
- お元氣 ⇔ 疲れた
- 簡単だ ⇔ 難しい
- できる ⇔ できない
- やってみよう ⇔ やりたくない
- がんばります ⇔ いやだ
- 努力します ⇔ 困難だ
- 挑戦します ⇔ 大変だ
- うれしい ⇔ 苦しい
- 楽しい ⇔ つらい
- 大好き ⇔ 大嫌い
- おもしろい ⇔ おもしろくない
- すばらしい ⇔ どうでもいい
- 美しい ⇔ みにくい
- まだ若い ⇔ もう年だ
- おいしい ⇔ まずい
- 感謝します ⇔ バカヤロー
- 許します ⇔ 許さない
- きれいだ ⇔ きたない
- ありがとう ⇔ どうせ
- 幸せだなぁ ⇔ 不幸だなぁ
終わりよければ全てよし!でため息をついた後でも「幸せだなぁ」と付け加えると良いようです。是非お試しください。
松陰語録 素読 [教育]
一、今日よりぞ 幼心を うち捨てて 人と成りにし 道を踏めかし
意味:今までは親にすがり、甘えていたが今日からは人として生まれた道を学んでいこう
二、世の人は よしあしごとも いわばいえ 賤(しず)が誠は 神ぞ知るらん
意味:世間の人は私のとった行動を良くないと言う人もいるだろうが、私の国を思う真心はきっと誰かが分かってくれるだろう
三、親思ふ こころにまさる 親ごごろ けふの音づれ 何ときくらん
意味:子供が親を思う心よりも親が子を愛する親心はどれほど勝ったものであろう。死なねばならぬ私の便りを知って故郷の両親はどんなに悲しむことであろう
なんとこの吉田松陰語録を小学生が毎朝朗唱しているとのこと。それは萩市立明倫小学校である。元々毛利藩の藩校として開講した明倫館を受け継いだ小学校のようだ。上記の一は小学校一年生一学期に学ぶ、二は二学期、三は三学期に学ぶそうだ。是非、明倫小学校の以下のリンクから各学年で学ぶ松陰語録をご覧いただきたい。恐るべし小学生である。私はこの夏30代後半にして初めて松陰語録に子供と共に触れた(臨海学校にて)ばかりである。
明倫小学校では、昭和56年(1981年)より、毎朝、朝の会の時に、松陰先生の言葉を声高らかに朗唱しています。学年ごと、学期ごとに言葉が変わります。小学生に、こんな難しい言葉を言わせて、・・・というご意見もあります。しかし、昔から素読という学習方法もあり、「読書百篇、意自ずから通ず」と言われるように、毎日声に出して言うことにより、だんだんと意味がわかってくるようです。大人になってからも、ふと思い出すこともあると聞きます。論語の中に「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや」という言葉もあります。物質は豊かになったけれど、心が貧しい人間が増え、道徳教育の重要性が叫ばれている昨今です。これらの松陰先生の言葉が、子どもたちの心の支えになってくれることを願ってやみません。(萩市立明倫小学校ホームページ「各学年朗唱文」より抜粋)
以下は今年親子で初めて参加した、NPO法人まほろば教育事業団主催 まほろば小学生合宿(大津島会場一泊二日:後援 周南市、周南市教育委員会)の報告集より抜粋です。
明治維新の原動力となった幕末の志士達を育てた松下村塾の吉田松陰を「輝く人生の言葉」として松陰先生の言葉の意味を学びながら原文のまま素読を行った。
一、今日よりぞ 幼心をうち捨てて 人と成りにし道を踏めかし
二、凡そ生まれて人たらば、宜しく人の禽獣(きんじゅう)に異なる所以を知るべし
三、志を立てて以って万事の源となす
四、万巻の書を読むに非ざるよりは、寧んぞ千秋の人と為るを得ん
五、一己の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん
六、道は即ち高し、美し。約なり、近なり
七、凡そ皇国に生まれては、宜しく吾が宇内に尊き所以を知るべし
八、親思ふこころにまさる親ごごろ けふの音づれ何ときくらん
九、かくすればかくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂
十、至誠にして動かざる者未だこれあらざるなり
子供達二人は上の10個の文章を覚えたのです。当初原文をそのまま読んでどんな意味があるのだろうか?と現代の頭で考えていましたが、参加しての感想は・・・すごい!の一言。言霊が蘇るのを目の当たりにしました!子供たちも覚えるのが楽しい様子でいきいきとしていたことに驚きました!
その後、実家に帰った際、おばあちゃんに向けて朗唱し始め、「それは松陰先生の言葉だね!」と気づき、「おばあちゃんも覚えるから教えて!」となり、子供達は覚えるためのテキストをおばあちゃんの手帖に写し始めたのです。二の禽獣などは親でも書けないのに。いろんな収穫があったものです。あれから3ヶ月経ちますが、最初の言葉を言うと覚えているようです。
松陰先生死後約150年経つ今も言葉は生きています。子供というものは素直なので私も良き言葉を残していこうと思います。その素直な時期に植える教育の大切さを身にしみて感じる今日この頃です。
捨てる人、拾う人、何もしない人 [教育]
昨日、小学1年の娘が手に一杯のゴミを抱えて学校から帰って来た。何でも友だちと帰り道に落ちていたゴミを拾って帰ったのだという。学校で教わったのではないという。驚いたのと同時に嬉しかった。
この夏、臨海学校で素手素足によるトイレ掃除をご指導いただいた。全国にある「日本を美しくする会 掃除に学ぶ会」の協力のおかげであった。その講師(経営者)の方がある算数の問題として子供達に投げかけた。
ゴミを拾う人(+) ゴミを捨てる人(-)
では、「何もしない人」は位置で言うとどの辺りにいますか?という問題だった。
いろいろな意見が出た。「丁度真ん中」とか「捨てる人寄り」とか「拾う人寄り」とか。私は真ん中と思った。
答えは・・・
ゴミを拾う人(+) 何もしない人(0)ゴミを捨てる人(-)
何もしない人は限りなく捨てる人に近い!のだという。
ゴミを拾う人は1個だけではなく、何個も拾うから+10ぐらい。捨てる人は1個捨ててもマイナス1。何もしない人(傍観者)は何も世の中を変えることはないからプラスマイナスゼロ。
子供の中にその教えが生きていることを実感させていただいた。ゴミを拾えばいいということは、みんな頭では理解しているのである。しかし行動、実践することが一番大事。子供から教わった出来事であった。
もし、このブログを見ていただいている方の中で教育に携わる方(学校・企業etc)がおられたら、この問題は何かのヒントにしていただきたい。
あの吉田松陰先生も残しておられます。
「議論ではなくて実行だ、つまらぬ多言を費やすよりも、至誠を積み蓄えるがよろしい!」
ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる―心を洗い、心を磨く生き方
- 作者: 鍵山 秀三郎
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2006/06
- メディア: 単行本
日本を美しくする会 掃除に学ぶ会のもとはイエローハットの創業者である鍵山氏の何十年にもおよぶトイレ掃除の実践から生まれています。
ラジオっていいな [教育]
秋篠宮家の紀子さまは子ども時代テレビを見ないご家庭だったと聞いたことがある。学者のお父様の教育方針だったそうだが、素晴らしい教育かもしれない。
テレビによる弊害は大きいかもしれない。ニュース・ドキュメントや教育関係は別としてバラエティなどは見ても見なくてもどうでもいいような内容ではないだろうか?テレビは映像を見ないといけないので他の作業など出来ない。釘付けにされてしまうのである。
一方ラジオはどうだろう?
聞きながら何か別のこともできるし、イメージしないといけないので想像力が働く。
子どももその楽しみが少し分かったのだろうか、野球中継もラジオで聞くことがある。子どもは野球をやっているので、ボールの行方をイメージしながら聞いているのではないだろうか?目に見えないけど、頭の中でイメージトレーニングしながら。それが実践でも生かす時は来ると思う。
知り合いがNO TV DAYを5日間チャレンジするモニター登録されたらしい。子どもさんなんかがどのように変ったか楽しみである。本を読んだり、お父さんお母さんとお話したり・・・きっと想像力が豊かになる5日間だろう・・・
プロジェクトX 挑戦者たち Vol.14 町工場、世界へ翔ぶ
- 出版社/メーカー: NHKエンタープライズ
農業体験塾 [教育]
子どもたちとその親と一緒に農業体験を実家で始めてもう今回で5回目になる。今回で延べ参加人数は160名を超える。今年の春は・・・
- 米一粒が出きるまでのお話
- 素足でヒンヤリと冷たい田んぼに入り、横一列に並んでの手による田植え(田んぼにはおたまじゃくし、カエル、ヤゴ、ゲンゴロウやイモリなどがたくさん)
- バーベキューや井戸水によるそうめん流し(竹をくり抜いたもの)
- 玄米むすびをにぎって食べたり、玄米による健康講座
- 学問の神様として知られる菅原道真公を祀った神社参拝
- 菅原道真の紙芝居、国語の先生より和歌のご指導
- 竹細工をのこぎりなどを使って自分たちで製作
- カブトムシの幼虫を見たり、山を散策したり木登り体験など
この秋は鎌で稲刈りである。そして刈った稲を束ねて竹ざおに皆で天日干しをする。過去には芋ほりや栗拾い、段ボールで草の上を滑るソリや天然のブランコなどしたこともある。
米一粒を作る大変さから一粒の大事さ、「食」とは命の元を食べること、生き物を通じて命とは、共同作業による協力する和の文化、棚田なので石組みをして田んぼを作った昔の人の偉大さ、自然への畏敬の念、命のつながりを感じ先祖を敬う心などいろいろと感じてもらえればいいなぁと思っている。
過去に農業体験をしたことがある子とない子での非行犯罪率なんか調べたら面白いかもしれない。都会では味わえないものが田舎にはある。大人になればいつでも都会に行ける。子どもの頃に体験した小さな感動・発見・挑戦は、三つ子の魂百までものようにずっと残っていくと思う。
講師からも機械で植えたみたいに上手だったと。明日は、植えたのを刈り入れて天日干しをする体験です。
武士道は今 [教育]
武士道精神が失われている・・・これが日本精神の衰退の原因。
なるほどそう言われてみるとそうである。
私は漫画家ジョージ秋山氏が書いた「浮浪雲(はぐれぐも)」が好きだった。主人公は、武士道というよりも道楽旦那といった感じだが、必殺仕事人の如く陰では、悪を駆逐している隠れ武士である。
新渡戸稲造氏(今は見れなくなった5千円札の方)の「武士道」を読んだ時は衝撃であった。元々この本は外国で新渡戸氏が外国人に日本人とは!ということを分かりやすく解説するために書いたと聞いているが、当の日本人(私)が日本人ではないことに気づかされるのである。それだけ当時の武士道精神は戦前戦後直後までは日本精神(日本文明)として息づいていたのであろう。
潔(いさぎよ)さ、散る美学
先日も回天特攻(「出口のない海」で人間魚雷 回天の話が上映されている)の生き残りの方のお話で、「今の皆さんには分からないと思いますが、特攻とは一言でいうと武士道なんです。当時その精神が生きていたんです。」この一言に尽きるのではないだろうか?
武士道が失われた今・・・だから今の我々には分からないんだろうか?
武士道・・・
今の日本人男性の武士道精神比率はいくらぐらいだろうか?20%もあれば恩の字だろうか?
高校時代の3年間、弓道部にて弓術を通して武士道を学んだ。礼に始まり礼に終わる、まさに礼が全てである。今思い出すと目に見えないものを感じる(例えば矢が放たれるのは自分の力ではなく、朝露が葉からしたたり落ちるが如く解き放たれるのである。森羅万象の世界である)力を教えていただいた。また先輩を敬い、後輩を指導し面倒を見る。いわゆる縦社会である。あの3年間は今も生きているのだろうか?当時は武士道とは思っていなかったが日本精神を少しでも継承していきたい。
日本の歌百選 [教育]
文化庁が世代を超えて歌い継ぐ「日本の歌百選」の募集を始めたそうである。
~家族で一緒に歌える歌、子供や孫に歌って聞かせたい歌、次世代に残したい歌~日本語の歌詞であればジャンルは問わないという。
先日、うちの娘(小学1年)が一人で歌を口ずさんでいた。
「うさぎおいし、かのやま、こぶなつりし、かのかわ・・・」
あの「ふるさと」である。
この夏、子供達を山口県周南市の大津島で開催された臨海学校(1泊2日)に行かせた。そこで日本の唱歌・童謡をご指導いただいた。その時のしおり(我は海の子をはじめ唱歌の歌詞がいくつも載っている)を見ながら歌っていたのである。子供も楽しい思い出となったのだろう。
今の子供達にこの歌詞の意味が分かるかどうかは別として(田舎育ちの私もさすがにウサギを山で追いかけたことはないが(キジはある)、小さい頃、いとこと川でご飯粒をえさに魚釣りしたのを思い出す)日本の美しさを伝えていきたい歌のひとつである。
この歌には別の思い出もある。
数年前、広島で大学生たちが横田滋さん早紀江さんご夫妻をお招きして拉致問題の講演会に参加した。拉致された横田めぐみさんは広島の小学校に卒業までの数年間過ごされた。最後に横田夫妻を囲んで会場の方と全員でこの「ふるさと」を歌ったのである。横田滋さんは涙ぐんでおられた。おそらく一番楽しかった小学校6年までの風景(ふるさと)をめぐみさんはいつも思い出していたのではとも語っておられた。めぐみさんも日本を思いながらこの歌を一人で歌っていただろうか。
歌詞が素晴らしいのでここで改めて残しておきたい。
みなさんは次の世代にどんな日本の歌を残したいでしょうか?
兎(うさぎ)追いし かの山 小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと
如何(いか)にいます 父母 恙(つつが)無しや友垣(ともがき)
雨に風につけても 思い出ずる ふるさと
志を 果たして いつの日にか 帰らん 山はあおき ふるさと 水は清き ふるさと
自分を抱きしめる [教育]
子供たちから笑いをとるのは簡単であった。
先日もがんばった自分をほめてあげなさい!という話から、こうやってと言って子供に背中を向けて自分を両手で抱きしめてみた。後ろから見るとだれかが抱きしめているように見えるやつである。
子供達は初めて見る光景にケラケラと大笑い。
自分を抱きしめる経験は、ある自己啓発研修を10年近く前に受けて以来である。なかなかいいもんである。そういえばこの半年間ドン底を経験しながらもがんばっている自分がいる。人生あきらめずに生きている自分がいる。なかなかのもんではないか!とふと思ったぐらいである。
小児科医の田下先生はある講演で、幼児に抱き癖をつけてはいけないというのは真っ赤なウソですと言われていた。しっかりと抱き癖をつけてあげなさい!と。抱き癖(親からのしっかりした愛情)を受けないで育つと大人でもおしめをするぐらい赤ちゃんに戻るという実話を紹介されていた。中学生や高校生の男の子にでもお母さんから「だっこしてあげようか?」と聞いてみなさい。「なに言ってるの?(山口弁では:なに言っちょるん?)。病院でも連れていこうか?」と言われるぐらいであれば抱き癖は卒業しているのである。もうひとつ大切な質問があるという「お父さん(お母さん)が年とったら面倒みてくれる?」と。小さな子供でも「ぼくにまかしといて!」ぐらい出れば十分らしい。間違っても「あんたたちには世話にならんから」というのは言ってはならないらしい。
2年間ほど前の会社で単身赴任生活をしていたこともあり、下の娘とは大事な時期に一緒に過ごすことができなかった。上の子と違って未だに親子2人のときには抱っこをせがんでくる。人がいるときにはさすがに恥ずかしいのだろう、おんぶをせがんでくる。田下先生のおっしゃるとおりである。
子供を抱きしめてあげて欲しい。
その前にまず、自分自身を抱きしめてはいかがだろうか?
「俺(私)って結構がんばっているよなぁ」
いのちの暗号 [教育]
筑波大学の名誉教授の村上和雄氏によると(遺伝子工学の最先端の先生)、人間に生まれるということは、宝くじに100万回連続して当たるのと同じくらい奇跡だという。
別の医学部の先生からも以前、医学の最先端にいると神わざとしか考えられないことに出会うとお聞きしたことがある。
村上教授は、科学者が神と言うと誤解を生じるので「サムシング・グレイト」と呼んでいる。
「サムシング・グレイト」・・・何か大いなるもの、存在。なんとも不思議ないい響きではないか!
私は過去の経験からも・・・本物に触れると遺伝子がオン(ON)になると感じることがある。
例えば、素晴らしい本、映画、遺品、遺書、遺産、遺跡、技術、人、言葉などなど。
そんな本物に少しでも触れたいし、触れてもらいたいし、そうなりたいと思う。
宝くじに末等しか当たったことはないが(当たってるじゃないか!欲を言うな!)、子供と一緒に換金に行くのだが、子供は100円とか300円とかでも「当たった!当たった!」と喜んで交換に行く。窓口のおばさんも「おめでとう!」と笑顔でお金をくれる。子供はそのお金でガチャガチャ(100円とかで回すと丸い入れ物に入ったおもちゃが出てくる懐かしいガチャ)が出来るので嬉しいのだろう。
幸せってそんなところにあるような気がする。
宝くじ当たらなくても、生きてるだけで100万回連続して当たっているのとおんなじ。
人間に生まれているのはそれだけで奇跡。
人間の品格 [教育]
家の周りには蚊がたくさんいる。子供が近所の子供たちと一緒に遊んでいるのを見ると、蚊がまとわり付いている。それをたたきつぶすのが私の役割とばかりに蚊を殺しまくった。家の中に蚊を見つけても、子供がかまれたらかわいそうだという思いで一匹を殺すために全力を尽くす自分がいる。
深夜のテレビ「探偵ナイトスクープ」で「なめくじはビールがお好き」という実験(ビールを外に置いておくと、なめくじがやってきておぼれ死ぬという)を大阪箕面にあるお寺でやっていた。結局そのお寺ではなめくじは現れなかったのだが、
お寺の人が「だから言ったでしょう!殺生(せっしょう)はいけません!」
レポーターの桂小枝が「じゃあ蚊はどうなんですか?」
和尚さん「いけません!」と。
仏教は6世紀頃に大陸からもたらされたと習っている。聖徳太子の時代である。日本では、殺生(生き物を殺してはならない)とはそれ以降の教えということになるだろうか。それ以前は、牛の肉を神前にお供え物としていた文化もあると聞く。犠牲の漢字は牛へんであるのも不思議ではない。しかし理屈ではなく、その文化は封じ込められたのであろう。全国各地で奇祭として残っている珍しいお祭りはそういった名残なのだろうか?身分差別も人工的に作られたものである。勝者と敗者があり、常に勝者の歴史がその時代を覆う。しかしいつ立場が逆転するかは分からない。それまで封じ込められたものはどこに行ったのかとても興味を持っている。今は勝者アメリカの歴史に覆われている時代である。
先日も焼き鳥を食べた。殺生である。
焼きそばの中の牛肉を食べた。殺生である。
蚊を殺した。殺生である。
ところで、ベストセラーとなった「国家の品格」の藤原正彦氏の講演を聞いた。その中で、戦後の日本は「論理」にだまされてしまっている。私はこれから1時間いただいたら人を殺してもいい!という論理を100ぐらいあげることができる。そのまた1時間後には人を殺してはいけない!という論理を100個発見できる。
なぜ人を殺してはいけないのか?
だめなものはだめ!
これで終わり!だという。 なんと分かりやすい!
私も社会に出て、論理的に伝えることに注力してきた。2人の子供を抱え、質問攻めにあうこともある。けんかの仲裁に入ることもある。あれを買って欲しいと強請(ねだ)られることもある。
もう論理では答えないぞ。
「だめなものはだめ!」