SSブログ

ありがとう周南市(#^.^#) [社会]

IMG_20231015_074035.jpg

高校までの18年間、男版で戻りで帰ってきてからの16年間、合計34年間住んだ周南市を離れることになる。

左手に見える対岸の麓が私の住んだ場所。(対岸の下松市笠戸島のキャンプ場より撮影)

人口13万人のベルトコンビナート地帯の一角。トクヤマ、東ソー、日本精蠟、帝人、出光などの工場があり戦後の工業で栄えた街。20年前に徳山市と新南陽市、鹿野町、熊毛町と合併して周南市の名称に。戦前は、沖縄戦に向かう戦艦大和が最後の補給地として立ち寄った場所でもあり、大津島には人間魚雷「回天」の訓練基地があった。海あり、山あり、温泉あり、鶴の越冬地の熊毛などの豊かな自然もある観光地でもある。駅前には、「有楽町」「銀座」など東京の地名をもらった場所がいくつもあり、人口比率に対して飲み屋の数が全国でも1位と戦後の復興需要があった街でもある。周南市出身の有名人は、童謡「ぞうさん」「やぎさん ゆうびん」「一ねんせいになったら」の作詞者:まどみちお氏、NHK大河ドラマ「龍馬伝」や「ガリレオ」シリーズの脚本家:福田靖氏、元プロレスラーの長州力、元カープの抑えのエース:津田恒美。

20年前の合併時は16万人でスタートしたが、20年間で2万4千人(△1200人/年間)人口減。少子高齢化社会のモデルのような街で、毎月生まれる子供の倍以上が亡くなっているので、人口減少は避けられない。

山口県は全国でも農業従事者の平均年齢が高く、周囲でも耕作放棄地が相次いでいる。空き家も増えて、今後の日本の行く末を目の当たりにしているようだ。

でも、私の現実には何の関係も無く、そんな少子高齢化対策は市のお偉いさん達のお仕事なんだから。私は「どこ吹く風」で、自分の目の前の現実を明るく楽しくするしかない。私にとっては、映画館もあり、ライブハウスもあり、美味しい蕎麦屋さんもありで住みやすい街だった。

昨日、参政党の神谷議員の街頭演説をyoutube上で聞いた。彼、私と同じ大学だったのか!?後輩君がんばれ!

「今だけ、金だけ、自分だけ」こんな世の中でいいのか?と言っていたが、「金だけ」というのは引っ掛かるが、それでいんじゃない?と私自身は感じている。

将来の日本をどうするのか?将来の子供たちのためにどうするのか?将来のエネルギーをどうするのか?この戦後の占領政策をどうするのか?それは国会議員の仕事であり、私たちの仕事ではない。

参政党の武田教授に投票したが、10万票以上取ったのに、自民党の3万票しか取れなかった自民党の必殺仕事人俳優が当選し、参政党の武田教授は落選。選挙の虚無感を改めて感じた前回の参議院選挙。あれだけ何度も言われ続けてきた・・・もう、「ヒーロー」はどこにもいないのが理解できた。政治に期待した時期もあった。20年前、拉致被害者の横田さんご夫婦を呼んでの講演会で私が司会した。中川昭一議員を呼んでの講演会でも司会をした。その後、彼らは消え、未だに何も変わらないではないか!?もう、政治の応援はしないと前回で悟った。

私を育ててくれた維新の街:周南市!(児玉源太郎(日露戦争時代の陸軍大将)を祀る児玉神社から寄付のお願いが来たが、丁重に断った)ピラミッド社会の権化の街・・・わたしはそっと離れます!34年間ありがとう!

nice!(3)  コメント(2)