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農業技術革新で未来は明るい [社会]

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コンバインといわれる機械は昭和41年に開発されたそうだ。

稲刈り+脱穀+ワラ裁断までしてくれる大型機械である。

私が作る田んぼは棚田であり、大型機械が6割の面積比率で入らない。なので、昔ながらの①1条刈りのバインダーと呼ばれる稲刈り機で稲刈り ②ハゼ干しによる天日干し(5日程度) ③ハーベスターと呼ばれる脱穀機で脱穀&ワラ裁断 で1枚の田んぼに約1週間要していた。稲刈りハゼ掛けだけでも1枚の田んぼ当たり丸2日。

今年はコンバインが入る田んぼ2枚をJAに稲刈りを有料で頼んだ。初めての事なので補助作業もあるのか?と思い、準備万端で待っていたが、立ち尽くすまま1枚あたり約30分で①稲刈り③脱穀&ワラ裁断が終了。②の乾燥はライスセンターでこれまた有料で乾燥してもらって自宅まで玄米の状態で配達されるらしい。

今更ながらではあるが、日本(世界)の農業の技術革新を目の当たりにして、目からウロコだった。作業に来た人が言っておられたが、「85歳のおじいちゃんが一人で1町の田んぼを一人で管理しておられる。」「と、言っても全部私たちがやるんですけどね~」「お金さえ払えば、何でも出来る世の中になりましたネ~」とのこと。土地を荒らさない、自分の田んぼで採れた米を食べる、地元に地元産米を出荷するetcある意味必要な事かもしれない・・・と感じた。


農業人口の高齢化、少子化、耕作放棄地の拡大化・・・日本の農業の未来は暗く感じていたが、先端技術を使えば(と、いっても50年以上前からある技術をうちが使っていなかっただけ)日本の農業は明るい!と光が差し込んできた田んぼの後姿です・・・。

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kawaii155cm

お疲れ様です。
昨年までは、こちらの田んぼもはぜ干しされていたのですか?
大変でしたね。
私の実家も自宅で食べる保有米については、はぜ干ししていました。今はしていませんが、絶対に味が違いましたね。
私が小学生の頃は、農繁期に4日ほど学校がお休みになっていました。(農家でない子もいたのですがね。)
田植えと稲刈りの頃でした。
中学校は山を持っていて、秋には遠足を兼ねて「柴刈り」に全校生徒で行っていました。そんな時代があったのです。
稲作は、
手作業の稲刈り⇒はぜ干しした稲を機械で脱穀⇒ドンゴロス(麻袋)に入れて自宅まで運搬⇒籾摺り(籾から玄米)⇒保存を近所で共同でやっていました。(機械を一家では購入できなかったからでしょう。)
本当に、あの頃のことを考えると農作業も変わりましたね。
とにかく、「重い」作業を軽減することが大事だと思います。
ふと、思い出しました。
秋の田んぼでの農作業を俳句にして国語の時間に発表し、小学校の6年生の時、賞をもらったことがあります。銅賞でした。
「夜の田んぼ 稲刈る母の、手も寒し」←私も日が暮れた田んぼで月あかりを頼りに母と一緒に稲刈りをしていました。猫の手より頼りになったと思います。
ちなみに金賞は
「秋の山 踏みしだかれし 落ち葉かな」だったような・・・。

いよいよ、新米が食べられますね。
いい香りがして美味しいですよね。
我が家で新米が食べられるのは、11月中旬になります。
by kawaii155cm (2019-10-21 19:10) 

はるかぜ

nice!を下さる皆さまありがとうございます!
kawaii155cmさま、コメントいつもありがとうございます。
日が暮れてからも稲刈りされておられたのですね。機械で刈る前は当然手で刈る時代だった訳ですから、しかも秋の夜は冷え込みますから手も冷たくなりますよね。世の中一歩一歩進歩していくのでしょうね。機械を開発する人たちに感謝です。農業は本当に重労働です。よく昔の人は手作業でやって来られたなぁと感心します。棚田に住んでいますが、田んぼが全て石組みで出来上がっているのも感動ものです。食べるために共同作業だったのでしょうね。食を疎かにしてはいけませんね。疎かに手軽にすると病気になるのかも???と思ってしまいます。
by はるかぜ (2019-10-22 13:57) 

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