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最後までわからない [社会]

ネット社会から遠ざかっていました。なければ無いで生きていけるネット。お休みすると復帰するのに勇気がいります。てか、誰も期待していないからマイペースで更新していきます。

先月の春の選抜高校野球の甲子園。娘と二人で行ってきました。

当初、娘の中学時代の同級生が宇部鴻城高校でレギュラーで出場するとのことで、職場からお休みをもらい、宿も確保しておりましたが、雨の為、一日順延したために日程を変えずに違う高校の応援となりました。

でも結果オーライで、物凄い劇的な試合を観ることができました。

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1塁側アルプススタンドでその学校の保護者たちに混じっての観戦でした。

一試合目は1塁悪送球でサヨナラ。

二試合目は清宮率いる早稲田実業が奇跡の逆転劇。

早稲田実業 対 明徳義塾 に関しては「1回戦から決勝戦やなぁ・・・」と後ろ側から声が聞こえるほど。

4対3で9回2アウトまで勝っていた高知の強豪校:明徳義塾。最後のバッターとなるはずの選手をピッチャーゴロに打ち取った。しかし、ピッチャー強襲でグラブを弾く。ここまではまだ良かった。落としたボールを1塁に投げれば余裕で間に合うタイミング。私たちが居た早稲田アルプス応援席は「走れ~」と打ったバッターに声援を送る。するとどうだろうか?ピッチャーはボールが手につかず、投げれず1塁セーフ。そこから同点に追いつき、延長戦で逆転で早稲田の勝利。話題の清宮が1回戦で去ることもなく、首の皮が一枚つながった瞬間が観れた。まさにアルプス一丸となった応援の勝利とも言えるのを間近に体験した。

自宅でTVで観戦していた私の父母からは・・・「あんたらの高校の試合を思い出したよ!」と帰って言われた。

私もそう感じていた。その時は真逆の側だった。

30年前の1987年の夏、私が高校3年生の時、私の高校が創立100年にして甲子園初出場を果たした。私のクラスメートがホームランを打ち1-0で勝っていた試合。9回2アウトまできた。最後のバッターをピッチャーゴロに仕留めた。私たちがいた応援席は全員が「やったぁー!」と歓声をあげた。

次の瞬間、ピッチャーがファーストへ大暴投。

歓声が悲鳴に変わった。

そこから逆転負けで、帰りのバスは皆無言だったのを思い出す。

当時の試合を見ていた作詞家の阿久悠氏はこのピッチャーに詩を残したほど。TVの熱闘甲子園でも「甲子園には魔物がいる!」と叫んだほど。(私のブログ内で検索していただけると出てくると思います。) 

今回は逆の立場を味わった。無口の娘も笑顔で他の早稲田実業保護者と喜びを分かち合っていた。

慢心すると足元を救われる。大人でも普通に有り得る出来事。それを若い頃から経験する。

チアリーダーとして応援で今年も参加する予定の娘にも、応援の力を信じることを目の当たりにしただろう。 

そして、試合も勉強も含めて「最後までわからない」だから「最後まであきらめない」ことを学んだに違いない。

私も「人生は最後までわからない」ことを学んだ。だから「最後まであきらめずに生きる」こととします。 


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