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人間万事塞翁が馬 [社会]

私の中でのテーマ「人間万事塞翁が馬」という教訓がある。


 人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという例え。

【人間万事塞翁が馬の解説】

昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。

 


学生時代の友人と飲んだ際、娘と二人で一泊二日の甲子園旅行の話をした。

 

友人にも私の娘と同い年の娘がいる。その彼から「お前、幸せもんやで!」「二人で出掛けるなんて有りえへん!」「離婚して良かったんちゃうか?」「月に一度の面会システムってええなぁ…」と言われた。

思春期の娘と父親。二人で買い物とかドライブとかも無いという。まして旅行なんて。

私は調停離婚後、月に一度の面会が設定されている。もう9年になる。毎月、子供が食べたいお店に行き、ドライブし、買い物やたまにカラオケやボーリングやゲームセンターに行く。毎日毎日顔を合わせている親子からすると有り得ないのかもしれない。たまにある非日常だから続くのかもしれない。離婚して辛い思いをさせていると思っていたが、何が不幸か幸福かわからないものである。 

昨日の記事の高校野球観戦だってそうだ。元々山口県勢の試合を観る予定が雨で順延の為、別の試合を観ることに。その結果劇的な二つの試合を私自身観ることが出来たし、娘もチアリーダーとして早稲田の背番号0を背負うチアリーダー達を観て何かを感じただろう。ちなみに観る予定だった宇部鴻城ー大阪桐蔭は0-11で観ていたら無惨な気持ちになっていたことだろう。

目の前の現実に起こることをしっかりと受け止めて生きていけばいいのかもしれない。

帰りの新幹線で娘に「人間万事塞翁が馬」の故事の話をした。彼女にとって忘れない故事となるだろう。私にとってもいい冥途の土産が出来た。私がいつか死ぬ時、娘も思い出してくれることだろう。 

人間というものは全て 塞のお爺さんの馬の出来事のようなものである。幸か不幸かは最後(死ぬ)まで分からないから、一喜一憂せず生きていきたいものです。 


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