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生物学的に意味の無い人生 [社会]

息子の初ライブを観終え、初めてのステージにして、ここまで(ベースを弾きながらメインボーカルを務め、MCをこなし、寸劇もやり、棒立ちではない動きのあるライブパフォーマンス)やるのか?!と感動したのと同時に、父親として教えるべきものは何も無い!と感じた。息子は来春、就職し、いずれ結婚し、子供を持ち・・・と人生は続いていくのだろうが、私の息子の父親としての役割は終えた気がした。「私はいつ死んでもおかしくないのかもしれない!」と、そんなことを一緒に行った友人に伝えると、「そんなことを言う人に限って長生きなんよ!」とか「人間簡単には死にゃーせんけぇ(死にはしないから)」と言われた。


奇しくも「ホンマでっか」の武田教授が似た話をしておられた。→〔100年人生(3)人生50年〕 http://takedanet.com/archives/1068763188.html


恐らく、ここで言われる〔生物学的な意味のある人生〕が私にとってもうすぐ終わりを迎える今であり、その後は〔生物学的な意味の無い人生〕を今まさに迎えようとしているのだ。


・0歳~10歳(自分では何も出来ない時期)

・11歳~20歳(肉体や精神を形成し、大人を完成させる時期)

・21歳~30歳(就職し、恋愛し、結婚し、子供を持つ時期)

・31歳~50歳(稼ぎ、育児をし家族と共に徐々に繁栄していく時期)←47歳の私の今はここ。


今から100年前の1920年の平均寿命は男女ともに43歳。その時代はここで人生を終えていた。まさに生物学的な意味をある人生を終えていたのである。その後100年経過し、戦争も無い(若い人が出征して戦死することもない)、医療も発達し生後まも亡くなることも無い(ちなみに私の父は5男5女の末弟であるが他の8人が二十歳までに亡くなり、跡継ぎとして今に至る(現在75歳))現在は平均寿命が約90歳。

私にとって、子供に対する役割を終えた今、今後の後半人生を真剣に考えなければならない。武田教授のブログ更新を待っている場合ではない。私が明日、いや今日死んでもおかしくないからだ。おぼろげに感じるのは「他者の為に生きる」ということかな?不特定多数の他者なのか?特定の他者なのか?どちらに対してもなのか?理想はどちらに対してもなのだろう。そんな大きなことを考えても、私に出来ることは小さく限られている。まずは出来ることはやっていくしかない!人生はくねくねしていても同じ延長線上で進んでいると思っていた。でも、突然マラソンの折り返し地点のような180度ターンがあるとは思ってもなかった。

今、とても戸惑っています(笑)。

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