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割れない風船 [社会]

今日、車で走っていて歩道に居た電動車椅子に乗った男性と付き添う女性を見かけて追い越した。

振り返ると電動車椅子に乗った男性は若い感じで障害を持った雰囲気だった。

止まった車椅子正面から女性(お母さんだろうか?年配の女性だった)が男性に向かって何かお世話をしている。

春といってもまだ寒いから防寒対策をしているのか、口の周りを拭いているのか何かわからなかったが、男性は不自由な身体なのは見てとれた。

一瞬で過ぎ去った光景だったのだが、男性が女性に対する「ありがとう!ありがとう!」という思いが伝わってきた。

私は人の気持ちを読み取る特殊能力は無いが、何故かそう感じた。

私も昨年、バイク転倒で骨折した際、松葉杖生活をした。自動ドアで無いお店に入るのに、サッとドアを開けてくれる見知らぬ人に「ありがとうございます!」と言葉で伝える何倍も嬉しかったことか。。。そんなことを思い出した。

でも骨折も治り・・・喉元過ぎれば熱さ忘れる、でもう既に忘れているのである。でも先ほど見た男性はそうではないだろう。一生付き合わなければならない不自由な身体なら「ありがとう!ありがとう!」の塊になるのかもしれない。だから一瞬にして私がキャッチしたのかもしれないなぁ。。。

何不自由無い生活をしているのに不平不満を言っている。事故や病気でいつもの日常の有り難さに気付き少し悟る。しかし治るとまた不平不満が出る。悟りは何だったのか?また反省して少し悟る。。。人生この繰り返しかもしれない。

割れない風船があるとしたら・・・希望いっぱいに膨らんだ状態でこの世に生まれてくる。自我が目覚め、他人との比較でその膨らんだ風船がしぼんでいく。でも何かの出来事で少し悟り、少し風船が膨らむ。更に嬉しいことがあると更に風船は大きくなる。でも決して割れることは無い。無限に大きくなる可能性を持つ感謝の風船「ありがとう!」号。

しかし、あくまでも可能性の話であり、大きくするか小さくしぼませるかは自分次第なのである。ただ、大きくなった回数や小さくした回数は関係ない。死ぬ瞬間の大きさが大事であり、終わりよければ全てよし!であれば過去の人生を後悔することもないだろう。と勝手に解釈してみる。その方が残りの人生に可能性が出てくるからいいのではないだろうか。

ボケの花アップ.jpg

花のように素直に感謝の気持ちを表したいものだ!


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