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日本のクリスマスは山口から [社会]

宣教師「あなたは神を信じますか?」

農民「あぁ信じるよ~この大自然を見ていると、神が居るとしか言いようが無いからね・・・」

宣教師「Do You Know It's Christmas?」

農民「知らんし!兎に角ほっといて欲しい!」

https://www.youtube.com/watch?v=i1jeiC-JEsI

そんなやり取りが500年前にあったかどうかは定かでは無いが、山口が日本のクリスマス発祥の地らしい。

http://www.xmas-city.jp/concept.html#history

※室町時代、守護として山口を中心に治めていた大内氏は、 京都をはじめ朝鮮半島や中国大陸から様々な文化、学問、宗教を取り入れ、 西国一といわれるほどの経済的発展とともに文化あふれる個性的なまちづくりを行いました。 第31代当主大内義隆は、フランシスコ=サビエルの布教の願いを寛容な心で受入れ、 翌1552年旧暦12月9日(西暦12月24日)、山口の地で降誕祭が行われました。 これが日本で初めてクリスマスが祝われた日と記録されています。


wikiより抜粋

1551年に山口の地でフランシスコ・ザビエルがキリスト教の布教活動を行ったのが山口でキリスト教が広まるきっかけとなった。翌年の12月9日(陽暦の12月24日)には当時山口で布教活動を行っていた宣教師コスメ・デ・トーレスらが司祭館に日本人信徒を招き、宣教師らによって賛美歌が歌われ、クリスマスが祝われたのが、日本でクリスマスが祝われた始まりとされている。


まぁ日本人は何でも受け入れる寛容な民族ということだろうか?というよりも頭がいいということだろう。何でも商売に繋げて繁栄を図る努力。自治体も観光推進課の(ドラマ「最後から二番目の恋」の和平さんのような)人たちが、「どうしたらこの街に人が来て、お金を落としてくれるだろうか?」を日々考えて行動しているのだ。当時の周防の国率いる大内義隆も考えたのだろうか?とここまで書いて少し調べると以下のような史実が・・・


天文19年(1550年)8月、山口に来たフランシスコ・ザビエルを謁見したが、汚れた旅装のままで面会に臨む、ろくな進物も持たない、義隆の放蕩振り・仏教の保護・当時一般的だった男色などを非難する、など礼を大いに欠いていたことから義隆は立腹し、布教の許可は下さなかった。ザビエルは畿内へ旅立った。

天文20年(1551年)4月下旬、ザビエルを再び謁見する。ザビエルはそれまでの経験から、貴人との会見時には外観が重視されることを学んでおり、今回は一行を美麗な服装で飾り、珍しい文物を義隆に献上した。献上品には、本来なら天皇に捧呈すべく用意していたポルトガルインド総督とゴア司教の親書のほか、望遠鏡・洋琴・置時計・ガラス製の水差し・鏡・眼鏡・書籍・絵画・小銃などがあったという。義隆は、ザビエルに対して布教の許可を与え、その拠点として、大道寺を与えた。


さすが大内氏GOOD JOB!である。当初、日本人はなめられていたのである。それを武士道の「礼」というものをザビエルは学んだ結果、今のクリスマスがあるのではないだろうか?

もしも第1回の謁見で無礼千万でザビエルが打ち首にでもなっていたら、今の歴史は変わっていたかもしれない。といっても第2のザビエルが来ただけの話であろうけど。。。

とまぁ日本のクリスマス発祥に面白い史実を知った今日この頃です。


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